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『落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺』の連載記事

2016.12.26【労働新聞】
【落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺】最終回 宿屋の富

 まずは小咄で『雷の宿』を枕代わりに。  馬喰町へ雷落ちたりしが「雲に離れて、もう上がれぬ、ここに二、三日泊めて下さい」。「何がさて、お安い御用」と受け合い、泊めおきしが、その夜、亭主雷の前へ出て「せっかくお宿申しましたが、とんだ者の宿をすると、大家様から尻が参りました、気の毒ながら、明朝早々お立ち成されて下され」と言えば、雷、あたまを……[続きを読む]

2016.12.19【労働新聞】
【落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺】第40回 稲川

 <関取の乳の辺りに人だかり>  お相撲さんも人気商売でございますが、前相撲として「頓智相撲」を何番かご覧いただいてから、本題の『稲川』という噺に入りたいと思います。  「ビールにはピーナッツ」、決まり手は「突き出し」で、ピーナッツの勝ち。  「花嫁には花婿」、内掛け(打ち掛け)で花嫁の勝ち。  「一万円札で煙草を買いに来たお客と……[続きを読む]

2016.12.12【労働新聞】
【落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺】第39回 阿武松

 <古の志賀にも負けぬ阿武の松>  初代横綱は明石志賀之助で、阿武松(おうのまつ)は第六代目の横綱であるが、この川柳では景勝の地も誇っているのである。志賀は琵琶湖南西岸の呼称で、天智天皇が遷都をして大津の宮といった処だ。平忠度が都落ちの時に藤原俊成に託した和歌でも有名な地名である。  <ささ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな>……[続きを読む]

2016.12.05【労働新聞】
【落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺】第38回 晴天十日

 <近年は二日はだかに余計成り>  相撲の本場所が晴天十日になったのは天明元年(1781年)からで、それまでは晴天八日の興行で、春冬の年2場所制で、1場所は深川八幡、1場所は神田明神や蔵前八幡などであった。晴天十日になってからは、両国回向院を定場所とし、お相撲さんが「一年を二十日で暮らすいい男」と云われるようになったわけだが、その頃の小……[続きを読む]

2016.11.28【労働新聞】
【落語家柳家小満ん ちょっと一席風流噺】第37回 野見宿禰

 <跳ねる手は野見の宿禰(すくね)が取り始め>  この川柳の面白さは「野見」と「蚤」の掛け詞だが、相撲の元祖は出雲の野見宿禰と、大和の当麻蹴速(たいまのけはや)の両者による相撲ということになっているので、その辺から話を進めてみよう。  第11代垂仁天皇の時代といえば、西暦320~330年頃で、先帝の時に出雲が大和に譲歩して国家統一がな……[続きを読む]

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