【国土を脅かす地震と噴火】22 島原大変④/伊藤 和明

2018.06.14 【労働新聞】
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夜が明けたら山は半分に

雲仙眉山の崩壊後

 三月朔の地震から1月を経た5月21日(旧4月1日)の夜8時過ぎ、強い地震が2回島原を襲った。しかし、地震に慣れてしまった人々は、それほど驚くこともなかったらしい。このとき、百雷のとどろくような鳴動が城下町を揺るがせ、直後に大津波が襲ってきたのである。無数の家屋が倒壊あるいは流失し、阿鼻叫喚の有り様となった。そして恐怖の一夜が明けたとき、人々は変わり果てた前山(現在の眉山)の姿に驚いた。山体の半分近くが崩れ、失われていた。

 雲仙眉山は、北側の七面山と南側の天狗山の2つの峰から成る。地震の衝撃により、天狗山の海に面した側が大崩壊を起こし、麓の集落を埋没させるとともに、崩壊した山の部分が岩屑なだれとなって有明海に突入し、大津波を発生させた。

 このときの崩壊で生じた大量の土砂は、陸上にも海中にも多くの流れ山を生じた。現在も島原の沖合いに点在する九十九島(つくもじま)は、この大崩壊によって生まれたものである。また、崩壊土砂が陸上に堆積して造られた流れ山は、頂上からの見晴らしが良いためか、現在はその上にホテルなどの施設が建てられている。

 眉山の大崩壊がどのような過程で進行したかについては、発生が暗夜だったため、観察記録がほとんどない。わずかに次のような体験談が、状況の一端を物語っている。

平成30年6月18日第3165号7面 掲載

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