【国土を脅かす地震と噴火】18 元禄大地震㊦ 一つの時代に終止符打つ/伊藤 和明

2018.05.17 【労働新聞】
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地盤の隆起でつながった野島崎

 房総半島の南端に、野島崎という岬がある。今は陸続きで、小高い丘の上には純白の灯台が建っている。海に突き出たこの岬は、もともと“野島”という名の小さな島であった。元禄地震に伴う地盤の隆起で、陸続きになった。

 地震とともに房総半島の南部は大きく隆起した。隆起量は、最大5.5メートルにも達している。その結果、地震の前に海底だった所が、隆起して陸地に変わってしまった。海底で波に洗われていた平坦な面が、陸化して段丘を形成したのである。このような段丘は、南房総の各地で認められており、「元禄段丘」と呼ばれている。

 新たに生じた段丘は、人間にとっては平坦で利用しやすいため、多くの漁村が段丘上に発達した。館山市布良や相浜などの集落は、ほとんどが元禄段丘の上に形成されている。このように、地震で形成された新たな陸地は、様ざまな土地利用が進められてきた。地震が日本の国土を広げてくれたのである。大地震がもたらしてくれた皮肉な恩恵ということができよう。

 房総半島の南端付近の元禄段丘には、さらに1つ上にも段丘がある。元禄段丘との境は、高さ4~5メートルの崖になっており、そこが元禄地震以前の海岸線に当たる。1つ上の段丘も、元禄地震と同じような、かつての超巨大地震で隆起して形成されたに違いない。

 さらによく調べると、房総半島南端には、元禄段丘を含め、計4段の海岸段丘が数えられる。その最高位の段丘は、サンゴ礁の化石を産することで知られる「沼層」という地層から成り立っている。このいわゆる「沼段丘」は、標高25メートル前後で、ところどころ侵食されながらも、半島の南端を取り巻くように分布している。

 沼層は、今から6500年程前の縄文時代前期に、海底に堆積した地層であることが分かっている。つまり沼層は、それから6500年程の間に、25メートルの高さにまで隆起してきたことになる。元禄段丘から沼段丘までの4段の段丘は、それぞれ巨大地震に伴う地盤の隆起によって形成されたものと考えられるから、単純に計算すれば、元禄地震級の超巨大地震が、平均1500年程の間隔で発生してきたことになろう。

 南関東一円に大災害をもたらした元禄大地震は、さしも繁栄をきわめた元禄の世に終止符を打つ大地震であった。元禄時代の末期には、五代将軍綱吉の専制政治に対する不満が高まり、世情は次第に不穏な様相を呈しつつあった。多額の浪費で幕府の財政は次第に窮乏し、それを救うための金銀の改鋳も、結果としては諸物価の高騰を招いて庶民の生活を圧迫することになった。不穏な世相を反映するかのように、元禄地震の1年前には、赤穂浪士による吉良邸討ち入りがあり、庶民は胸のすくような小気味良さを味わったという。

 傾きかけていた元禄の世に強烈な一撃を見舞ったのが元禄地震であった。しかもその余震は年を越えても治まることなく、すっかり神経過敏になった幕府は翌年、“宝永”と改元することになる。まさに元禄の繁栄は、地震によって滅びたということができよう。

筆者:NPO法人 防災情報機構 会長
元・NHK解説委員 伊藤 和明

〈記事一覧〉
【国土を脅かす地震と噴火】16 元禄大地震㊤ 壊滅した東海道の宿場町/伊藤 和明
【国土を脅かす地震と噴火】17 元禄大地震㊥ 房総半島に10メートル津波襲来/伊藤 和明
【国土を脅かす地震と噴火】18 元禄大地震㊦ 一つの時代に終止符打つ/伊藤 和明

この連載を見る:
平成30年5月21日第3161号7面 掲載

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