【国土を脅かす地震と噴火】16 元禄大地震㊤/伊藤 和明

2018.04.26 【労働新聞】
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壊滅した東海道の宿場町

注目されるのは街道沿いばかり
イラスト 吉川 泰生

 18世紀の初頭は日本列島激動の時代であった。1703年元禄地震、1707年宝永地震と、わずか4年の間隔で2つの海溝型地震が発生したうえ、宝永地震の49日後には富士山が大噴火した。

 その激動期の皮切りとなった元禄地震は、まさに元禄の繁栄を終わらせる超巨大地震であった。各地に伝わる災害の記録や、地形に残された証跡などから、元禄地震は明らかに相模トラフ巨大地震であり、1923年に発生した大正の関東地震の“1つ前の関東地震”と位置付けられている。広範囲にわたる大津波、房総半島南部での地盤隆起量などから、その規模は大正の関東地震より一回り大きく、最大M8.2と推定されており、震源域は房総沖の日本海溝付近にまで及んだ。

 元禄地震が発生したのは、1703年12月31日(元禄16年11月23日)の未明であった。被害の状況については、『基熈(もとひろ)公記』、『甘露叢(かんろそう)』、新井白石の『折たく柴の記』、柳沢家の記録として知られる『楽只堂(らくしどう)年録』など多くの文書に詳しく記されている。『楽只堂年録』によれば、死者の数は全体で6700人、家屋の全壊と津波による流失は、合わせて2万8000軒となっている。

 江戸では、本所、神田、小石川辺りを中心に、多数の家屋が倒壊し、江戸城の石垣や櫓、門も崩れ落ちた。とりわけ地盤の軟弱な北の丸から水道橋、溜池から半蔵門、かつては入江だった日比谷などで、現在の震度階でいえば震度6強~6弱の揺れに見舞われたと推定される。ただ、幸いなことに、大正の関東地震とは異なり、地震によって直接生じた火災は少なく、広範囲に燃え広がることはなかった。

平成30年5月7日第3159号7面 掲載

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