【国土を脅かす地震と噴火】4 熊本を襲った直下地震 “過信”生んだ127年の月日/伊藤 和明

2018.02.05 【労働新聞】
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2度目までは耐えられず…

 2016年4月、熊本県から大分県にかけて頻発した地震は、複数の活断層が相次ぎ活動して起こした内陸直下地震であった。

 熊本県下では、4月14日午後9時26分にM6.5、さらに28時間後の16日未明1時25分にM7.3の大地震が発生した。益城町では、それぞれの地震で震度7の激しい揺れに見舞われた。同じ地区で震度7を2回続けて記録したのは、現在の地震観測網になってから初めてのことであった。

 総務省消防庁によれば、被災地全体で、住家の全壊8289棟、直接の死者50人となっている。うち益城町での死者は20人を数えた。また、南阿蘇村を中心に、大規模な斜面崩壊や地すべり、土石流などが頻発した。国土交通省によれば、土砂災害の発生件数は、190件に上る。

 4月14日の地震は日奈久断層、16日のM7.3は、布田川断層が活動して起こしたものと考えられている。震源の深さが、それぞれ11~12キロと浅い地震であったため、地表は激甚な揺れに見舞われたのである。

 地震活動は、さらに北東側の阿蘇地方や大分県下にまで及び、4月16日午前7時11分には、大分県中部を震源としてM5.3の地震が発生、由布市で震度5弱を記録した。

 これら一連の地震活動は、「別府・島原地溝帯」の中にある複数の活断層が活動して起こしたものである。九州中部の地殻は、幅約30キロの別府・島原地溝帯を中心に、少しずつ南北に開く運動が続いている。そのため、中央部がくぼんで、地溝帯を形成している。

 地溝帯の内部では、南北に引っ張られる力が働き続けてきたため、地殻に割れ目を生じ、そこからマグマが噴出しては、阿蘇山や雲仙岳、九重山などの火山が誕生してきた。

 加えて、引っ張りの力によって多くの活断層が生じている。それらが活動すれば、震源の浅い内陸直下地震が発生するのである。

 また、内陸だけでなく、地溝帯の東端に当たる別府湾の海底にも、多数の活断層が東西方向に走っている。

 実は、16年の熊本地震が発生するまで、「熊本には、災害をもたらすような地震は来ない」という認識が、市民の間に広がっていたという。しかし、歴史を調べてみると、たとえば1889年7月28日の深夜に「明治の熊本地震」が発生している。熊本市付近を震源として発生した直下地震で、規模はM6.3であった。

 激しい揺れによって、全壊家屋が続出した。『河南町資料』によると、熊本県下で家屋の全壊234戸、半壊329戸となっている。熊本城の石垣が大きく崩れ、当時の飽田郡では600カ所以上の地割れを生じたという。飽田郡と熊本市を中心に、死者20人、負傷者52人を数えた。

 それ以来、今回の熊本地震まで127年間、熊本では死者の出るような地震は発生していなかったのである。その間には、次々と世代も交代し、過去の災害が語り伝えられないまま、2016年熊本地震に遭遇したことになる。災害を伝承することの難しさを示す一例ともいえよう。

筆者:NPO法人防災情報機構 会長 元NHK解説委員 伊藤 和明

この連載を見る:
平成30年2月5日第3147号7面 掲載

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