【国土を脅かす地震と噴火】21 島原大変③/伊藤 和明

2018.06.07 【労働新聞】
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地割れが城内を貫通する

交代の鐘聞こえず過重労働に
イラスト 吉川 泰生

 1792年の春、前年の秋から続いてきた一連の地震活動と噴火は、その最終段階で大規模災害に発展することになる。

 雲仙岳からの溶岩流出がほぼ止まった後、突然の強い地震が発生したのは、4月21日(旧3月1日)のことであった。地震は山鳴りを伴って、ひっきりなしに島原の城下町一帯を揺るがし始めた。各所で土砂崩れが起き、道路には地割れが生じ、城の石垣も崩れ、民家の壁が落ちたり、鴨居が外れたりするというような被害が相次いだ。

 地震は翌日も翌々日も続いた。折から旧暦3月3日の桃の節句を楽しみにしていた子供たちにとっても、地震が起きるたびに雛壇から雛人形が転げ落ちるのでは、とても雛祭りを祝う気分にはなれなかったという。

 寺の鐘撞き堂も破損したので、暫くは時の鐘も打てなくなった。そのため、城に勤務する武士が、昼夜交代の時刻を知ることができなくなってしまった。仕方なく、御蔵の前に仮の柱を立てて、時の鐘を撞いたのだが、辺り一面が草原だったために鳴り響かず、遠くまで音が届かなくて困惑したという。

 絶え間なく襲う地震に恐れをなした島原の人々は、近郷近在の身寄りなどを頼って避難していった。しかし、城に仕える藩士たちの家族は、他の土地へ逃げ出すわけにもいかず、めいめい身辺の物などを携えて、城内の三の丸に集まり、大書院で夜を明かした。

平成30年6月11日第3164号7面 掲載

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