【国土を脅かす地震と噴火】36 明治三陸地震津波㊦/伊藤 和明

2018.11.01 【労働新聞】
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犠牲者2万人超で最悪に

助け求める声を船幽霊と勘違い
イラスト 吉川 泰生

 1896年6月15日の大津波の当日、岩手県重茂(おもえ)村の漁師4人は沖へ漁に出ていて、津波が村を襲ったことを知らなかった。日が暮れたので、4人は帰港するため、暗闇のなかを岸に向かって漕いでいると、家々の残骸が次々と流れてくるばかりか、海面のここかしこで人声がする。

 「さては、かねがね聞いている船幽霊に違いない」と思い、一同じっと声をひそめていた。

 一方、海上を漂っている人々は、大声を上げて船に助けを求めていた。だが、全く反応がない。そのうちに、漂流している人々のなかから「俺は助役の山崎だぞ!」という声が聞こえた。船上の漁師たちもようやく異変に気付き、救助を始めたという。

 恐怖の一夜が明けたとき、人々の眼前には、すっかり変わり果てた村々の姿が広がっていた。前日まで軒を連ねていた集落の跡には、家々の土台石だけが残っていて、家屋は跡形もなく流失していた。浜は家々の残骸で埋まり、遺体が散乱していた。海に浮かぶ無数の遺体を、地引き網を使い引き上げたという。この大津波による死者・行方不明者の数は、約2万2000人とされており、日本の歴史上、最大の犠牲者を出した津波災害であった。

 前回述べたように、この大津波をもたらした地震の揺れは弱かった。そのため、沿岸住民はゆるやかな地震動を感じていたが、津波の襲来を予想した人はほとんどいなかったのである。

 このように、地震の揺れが弱くても、大津波だけを発生させるタイプの地震は、“津波地震”と呼ばれている。

平成30年11月5日第3183号7面 掲載

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