【国土を脅かす地震と噴火】63 日本海中部地震津波 遠足の小学生13人犠牲に/伊藤 和明

2019.06.06 【労働新聞】
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NPO法人防災情報機構 会長
元NHK解説委員
伊藤 和明 氏

 1983年(昭和58年)5月26日、正午直前の11時59分、秋田県の沖合約8キロの海底で、M7.7の大地震が発生した。日本海の東縁、北米プレートとユーラシアプレートの境界で発生したこの地震は、「日本海中部地震」と名付けられている。

 地震による津波が、北海道の南西岸から青森県、秋田県の沿岸を襲い、大災害をもたらした。津波の被害は、秋田県下が最大であった。地震と津波で934戸が全壊し、52戸が流失した。死者104人のうち100人が津波による犠牲者であった。

 津波の高さは、青森・秋田両県の沿岸で3~7メートル、秋田県峰浜村では14メートルの遡上高を記録している。津波の第1波は、地震発生から7分後に青森県の深浦に到達、8分後に秋田県の男鹿半島沿岸に達した。気象庁仙台管区気象台が大津波警報を発表したのは、地震から15分後の12時14分であった。したがって、津波警報が発表されたときには、すでに第1波が沿岸に到達していたことになる。

 この災害の後、現地を取材して驚いたのは、「日本海側には津波は来ない」という言伝えがあったことである。海底で大地震が起きれば、まずは津波を警戒しなければならないのに、かなりの人が津波の襲来を予想していなかったと思われる。

 歴史を調べてみると、日本海沿岸で津波による多数の死者が出た例は、1833年(天保4年)12月7日に起きた庄内沖地震(M7.5)まで遡ることが分かった。このときは、庄内地方や能登の沿岸を大津波が襲い、地震と津波によって約100人が死亡している。以後150年もの間、犠牲者を出すような津波が、日本海沿岸では起きていなかったのである。過去の出来事が伝承されないまま、津波災害を蒙ることになったといえよう。誤った言伝えが死者数を増やした点は否定できないであろう。

令和元年6月10日第3212号7面 掲載

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