【国土を脅かす地震と噴火】31 磐梯山の大噴火㊤ 富士山型から山容が一変/伊藤 和明

2018.09.20 【労働新聞】
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爆発的噴火を描いた古絵図

 「会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が なりさがる」と、里謡にもうたわれた磐梯山は、福島県会津盆地の東部に位置する活火山である。

 歴史時代最古の噴火記録は、806年(大同元年)にさかのぼる。このときの噴火は大規模な水蒸気爆発だったとされ、月輪郷や更科郷など50あまりの集落が、噴出物の下に埋没したと伝えられる。

 その後は、江戸時代の1643年(寛永20年)や1655年(明暦元年)に、磐梯山が鳴動したと思われる記録がみられる。また、1719年(享保4年)頃には噴煙を上げていたという記録があり、1787年(天明7年)頃に書かれた『東国旅行談』には、「高峰の峯より炎火立ち昇る事は烈々として其煙雲と等しく天を焦がす勢なり」とあって、山頂の火口からさかんに噴火を続けていたことが読みとれる。

 当時の磐梯山は、「会津富士」とも呼ばれていたように、富士山型をした秀麗な成層火山であった。その山体が大爆発とともに崩壊して山容が一変し、麓に大災害をもたらしたのは、今からちょうど130年前に当たる1888年(明治21年)7月15日のことであった。

 大噴火が発生する1週間前の7月8日頃から、磐梯山の周辺では、低い鳴動や遠雷のとどろくような音が断続的に聞こえていた。

 7月15日の当日は、夜明けから雲一つない快晴で、西北西の微風が吹いていたという。朝の7時頃、突然山の方角からゴウゴウという鳴動が響いてきた。7時半過ぎには、かなり強い地震があり、しばらくして、さらに強烈な地震が発生した。その揺れが収まらぬうちの7時45分頃、大磐梯山と並び立っていた小磐梯山の噴火が始まった。大きな爆発音とともに黒煙が巨大な柱のように上空へと立ち上り、引き続いて15~20回も爆発が繰り返された。

 爆発が起きるたびに噴煙が激しく上昇したのだが、最後の一発は、空砲のような音を伴って、「北に向かって抜けた」という。最初の爆発から最後の大爆発まで、わずか1分ほどの出来事であった。噴煙は1500メートルほどの高さにまで上昇したが、その後、傘状に横へと広がっていった。

 大爆発の後30~40分間は、小さな爆発が巨砲を連発するように続いて、山は激しく鳴動した。まもなく、麓の村々には高温の火山灰が降り始め、辺りは暗夜のようになった。熱い灰を被り、火傷を負った者も少なくない。山麓では、噴出物が30センチほどの厚さに降り積もった。

 火山灰は偏西風に乗って東へと流され、100キロも離れた太平洋岸にまで達したという。

 「北に向かって抜けた」というのは、爆発的な水蒸気噴火によって、小磐梯山の山頂部が、北方へ向かい大崩壊を起こしたことを意味していた。

 上昇してきたマグマに熱せられて地下水が気化し、水蒸気圧が高まった結果、大爆発が発生して山体を崩壊させたもので、このような噴火に対して、“Bandaian type”(磐梯型)という名称が与えられている。

筆者:NPO法人防災情報機構 会長 元NHK解説委員 伊藤 和明

〈記事一覧〉
【国土を脅かす地震と噴火】31 磐梯山の大噴火㊤ 富士山型から山容が一変/伊藤 和明
【国土を脅かす地震と噴火】32 磐梯山の大噴火㊦ 皮肉にも多様な景勝地が/伊藤 和明

この連載を見る:
平成30年9月24日第3178号7面 掲載

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