【国土を脅かす地震と噴火】61 新潟地震(上) 停電で消火装置作動せず/伊藤 和明

2019.05.23 【労働新聞】
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NPO法人防災情報機構 会長
元NHK解説委員
伊藤 和明 氏

 1964年(昭和39年)6月16日午後1時1分、新潟市など日本海沿岸を大地震が襲った。震源は新潟市から北へ50キロほど離れた粟島の南の海底下で、震源域は南北約100キロに及んでいる。地震の規模はM7.5、震源の深さは34キロであった。

 新潟地震の起きた64年は、10月に東京オリンピックが開催されることになっていた。このため、例年なら秋に催される国民体育大会が、6月6日から新潟市で行われ、6月10日に閉会したばかりであった。そのわずか6日後に大地震が発生したのである。

 この地震により、山形県から新潟県の日本海側では、ほとんどの地域が震度5の揺れに見舞われた。山形県鶴岡市では震度6を記録している。地震による被害は、新潟・山形・秋田各県など9県に及び、死者26人、負傷者447人、全壊家屋1960戸、半壊6640戸、全焼290戸を数えた。

 鶴岡市では、老朽化した幼稚園の園舎が倒壊、園児3人が圧死した。酒田市では、中学校の校庭に生じた亀裂に、2年生の女子生徒が転落して死亡する事故も起きた。

 海底下の地震だったため、津波が発生した。津波は地震発生から約15分後に沿岸部を襲い、新潟市で4メートル、村上市や佐渡島などで3メートル以上の最大波高を記録している。新潟市では、信濃川を遡上した津波により、広範囲にわたって浸水被害を生じ、なかには1カ月も冠水したままになっていた地区もあった。

令和元年5月27日第3210号7面 掲載

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