【元漫才師の芸能界交友録】第5回 オール巨人③ 悔しい25年前の大一番/角田 龍平

2019.07.25 【労働新聞】
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足さえ取りに行かなければ
イラスト・むつきつとむ

 2歳の娘に絵本を読むことがある。娘のお気に入りは「ジョージは知りたがり屋でした」から始まる「おさるのジョージ」である。娘には好奇心旺盛な「知りたがり屋」になってほしい。くわえて、負けず嫌いな「悔しがり屋」になってほしい。

 オール巨人師匠は悔しがり屋である。「あれは俺の相撲だった」。数年前、酒席を共にした夜も巨人師匠は悔しがり屋だった。なかなか60歳代の男性の口から「俺の相撲」という言葉は出てこない。「相撲ですか?」と水を向けると、ほろ酔いの巨人師匠から悔恨の情が溢れ出した。

 25年前、TBSテレビの「オールスター感謝祭」で、巨人師匠はチャック・ウィルソンさんと相撲を取った。柔道と空手の達人で、芸能界最強ともいわれたチャック。赤鬼のような形相のチャックに血走った目で睨まれると、さしもの巨人師匠もたじろいだという。

 しかし、巨人師匠も負けてはいない。高校では柔道で鳴らし、大関時代の若島津関を腕相撲で負かした逸話を持つ。若い頃はスクワット500回を日課とし、自宅の2階からロープを垂らして腕力だけで昇るトレーニングを長年続けてきた。世紀の取組の行司は、巨人師匠とも親交が深かった元関脇の蔵間さんだ。

 「はっけよい、残った!」。最初に前褌を取ったのは巨人師匠だった。「蔵間にも『あれは巨人の相撲だった』といわれた」と巨人師匠は述懐する。前褌を取りながら、勝利に貪欲になるが余り、矢庭にチャックの足を取りにいこうとしたその刹那。チャックが巨人師匠の上体をコントロールし、形勢逆転。間髪を入れず巨人師匠を土俵に叩きつけた。

 「足さえ取りにいかなければ」。巨人師匠は四半世紀前の取組を昨日のことのように悔しがる。「チャックは一説によると元グリーンベレーといいます。前褌を取れただけでも…」と健闘を称えようとすると、「うちの親父も軍曹で、体力測定では軍で一番だった」と巨人師匠。どこまでも負けず嫌いなのだ。

 痛恨の敗北から20年後。芸人のリアクションを競うお正月の特番で、巨人師匠はプロレスラーで総合格闘家の桜庭和志選手と相まみえた。普段はリアクション芸をみせることのない巨人師匠が、桜庭選手から関節技を仕掛けられたらどんな反応をするのか。放送では無抵抗の巨人師匠が矢継ぎ早に繰り出される桜庭選手の関節技に悲鳴を上げていた。

 数日後、新年会で顔を合わせた時に件の番組について尋ねると、巨人師匠は桜庭戦の真相について語り出した。「僕はね、身体が柔らかいんです。桜庭君に技を掛けられて、痛い痛いとはいったけれども、あれは嘘。全然痛くなかった。痛がらないと桜庭君に悪いやろなと思ってね」。そして、巨人師匠は総合格闘技ルールでの桜庭選手との対決を熱望するのだった。

 もしも、巨人師匠が20年遅く生まれていれば。総合格闘技のリングで最強とされていたグレイシー一族を次々となぎ倒し、「グレイシーハンター」の異名を取ったのは桜庭和志ではなく、オール巨人だったかもしれない。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和元年8月5日第3219号7面 掲載

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