【元漫才師の芸能界交友録】第33回 桂文枝 45年前思い胸いっぱいに/角田 龍平
今年で46回目を数える「桂文枝の順正ゆどうふ食べくらべ大会」を知らない京都人はいない。毎年冬に清水寺門前にある名店「順正」で開催される湯豆腐の大食い大会への切符を、4度目の正直で手に入れた。過去3年はいずれも抽選に漏れ、“湯豆腐の祭典”への出場は叶わなかった。
今年の私のエントリーナンバーは、なんと202001311203。大会に出場できるのは102(とうふ)人だから、およそ20億分の1の難関だ。心ない人は、「2020年1月31日に登録した1203番目の応募者ではないか」と訝しむだろう。確かに、その日に登録したことは争わないが、よしんばそうだとしても1203分の102なのだから狭き門であることに違いない。
大会当日。私は「順正」の鉢巻きを締め、13番のゼッケンを着け、桂文枝審判長の登場を待っていた。文枝審判長の仮装も大会の見どころの一つだ。近年では、大河ドラマ『真田丸』で演じた千利休や、ピコ太郎にブルゾンちえみといった流行りの芸人に扮していた。大会ではユーモア賞も設けられているが、その実もっともユーモア賞に相応しいのは文枝審判長なのだ。
ところが、今年の文枝審判長は、白いYシャツに真っ赤なネクタイを締め、白衣を羽織っただけの姿で、凛々しい表情を崩さぬまま中島みゆきの『糸』をBGMに厳かに登場した。一目みたところ、何ら扮装することなく姿を現した文枝審判長に、拍子抜けする101人の“ユドウファイター”たち。たったひとり、私だけが文枝審判長の意図に気付き、膝を打った。
会場前方の壇上に立つと、文枝審判長は身に着けた衣装が「上田両四郎さん」のものであることを明かした。私は両四郎さんを知っていた。真っ赤なネクタイがトレードマークの両四郎さんは、1年半ほど前に私が入会した社会奉仕団体の重鎮だった。はじめて名刺交換をした時に、両四郎さんが「順正」の社長であることを知り、色めき立った。「『ゆどうふ食べくらべ大会』に出場できるよう便宜を図ってもらえませんか」と請託すると、両四郎さんにやんわりと断られた。私は落胆するどころか、「みんなに公平」という団体のモットーを貫徹する姿勢にむしろ感銘を受けた。
両四郎さんは昨年末に急逝された。享年70歳。歴史、音楽、美術に俳句…なんでもござれで博覧強記の両四郎さんに聞きたいことはたくさんあった。とりわけ、両四郎さんが立ち上げた「ゆどうふ食べくらべ大会」の司会を46年に亘って務める文枝審判長との関係について一度ゆっくり尋ねたかった。
その思いはついぞ叶わなかったが、今は亡き大会創始者に扮して、その思い出を切々と語る文枝審判長の話に耳を傾けていると、ふたりの関係性がうかがい知れた。25歳の若社長と当時日の出の勢いだった31歳の桂三枝。若いふたりで始めた「ゆどうふ食べくらべ大会」が京都の冬の風物詩になるまでの45年に思いを馳せ、自然と目頭が熱くなった。もっとも、事情を知らない者の目には、4丁の湯豆腐に手こずりべそをかく中年男としか映らなかった。
筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平