【元漫才師の芸能界交友録】第1回 高校3年生の転機 巨人師匠に漫才褒められ/角田 龍平

2019.06.27 【労働新聞】
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大会で優勝を果たすまでに
イラスト・むつきつとむ

 SNSのメッセージを開くと、懐かしい差出人に思わず頬がほころぶ。「久しぶりに会いませんか」と誘ってきたのは制作会社のディレクターTさんだ。知り合って四半世紀が過ぎた。あの頃Tさんは二十歳代半ばだったが、17歳の私にはくわえ煙草でアシスタントディレクターやカメラマンに手際よく指示を出す姿がずいぶん大人に感じられた。

 まもなく高校3年生になろうとする1994年の春。中高一貫制の進学校で落ちこぼれ、代わり映えしない日常を悶々と生きていた。受験勉強に本腰を入れなければならなかった。それなのに、その日曜日もテレビを見て無為にやり過ごしていると、島田紳助さんが司会をつとめる番組で、オール巨人師匠が主宰する「漫才道場」の道場生を募集していた。「紳助と巨人に会えたら人生が変わるかもしれない」、ぼんやりそんなことを考えながら募集要項をメモしたことを憶えている。

 巨人師匠の前で漫談を披露して1次オーディションに合格したものの、受験にとって最も大切らしい高3の夏休みを漫才で棒にふるわけにはいかないと怖気づいた私は、2次オーディションを辞退するつもりでいた。「漫才道場」は、オーディションで選ばれた道場生が8月に開催される新人漫才コンクールで優勝をめざすという企画だったからだ。

 担当ディレクターのTさんから自宅に電話がかかってきたときも、受験勉強を理由に辞退を申し出た。すると、Tさんが意外なことを口にした。「巨人さんから『角田君だけはどうしても残してほしい』と言われている。考え直してくれないか」。

 Tさんの口車に乗せられた私は、同じく一人で来ていた相方と漫才コンビ「おおかみ少年」を結成。私たちの漫才は、紳助さんと巨人師匠に激賞され、新人漫才コンクールにも優勝した。

 もっとも、高3の夏休みを漫才に費やした代償は小さくなかった。多くの同級生が国公立大学に進学する中、私は漫才の一芸入試で合格した立命館大学法学部に進学するしかなかった。この一芸入試の出願に必要な推薦文を書いてくれたのが他ならぬTさんだった。

 入学後は、ほぼ大学に通うことなく、巨人師匠の付き人をしながら漫才の修行を続けたが、ほどなくして挫折。進路を漫才師から弁護士に変更したが、司法試験に落ち続けた。2006年に9度目の受験で司法試験に合格したとき、私は30歳になっていた。

 08年に弁護士登録してから弁護士業務の傍らテレビに出演するようになると、当時勤めていた法律事務所に1通の手紙が届いた。差出人は漫才を辞めてから付き合いが途絶えていたTさんだった。手紙には、この10年余りTさんが、私の人生を変えてしまったのではないかと思い悩んでいたこと、テレビに出ている私の姿を久しぶりに見て安堵したことが綴られていた。

 たしかにTさんは私の人生を面白い方に変えてしまった。これから、口車に乗らなければ得られなかった多くの出会いについて記したい。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平 氏

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平
すみだ りゅうへい
1976年京都府生まれ、京都弁護士会所属。幅広い事件を取り扱う。テレビ、ラジオでも活躍中。

この連載を見る:
令和元年7月1日第3215号7面 掲載

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