【元漫才師の芸能界交友録】第24回 スーパー・ササダンゴ・マシン① 新潟から再度リングへ/角田 龍平

2020.01.09 【労働新聞】
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司会など何足もの草鞋を履く
イラスト・むつきつとむ

 2018年春。ひとも事件も雑多なナニワの街に法律事務所を構えていた私は、家庭の事情で生まれ育った京都へ事務所を移転した。『角田龍平の蛤御門のヘン』(KBS京都ラジオ)のゲストに、杉作J太郎さんが来てくれたのはちょうどその頃だった。東京でサブカルチャーのアイコンとして活躍していた杉作さんは、2010年代に入ると活動の場を故郷である愛媛県松山市に移していた。

 松山市にある南海放送でディスクジョッキーをしている杉作さんに、「地方のラジオを盛り上げよう」と水を向けると、堰を切ったように話し出した。

 「ラジオに限らず、本当は文化というのは中央集権なわけはないんですよ。だから、どっかでおかしくなっちゃったんですよ、世の中が。それはね、まあ極端なことをいうとテレビのキー局という発想です。そこからおかしくなっただけの話で。本来、文化というのはどこで生まれて、どこで流行っても良いんですよ。絵画でも、小説でも。有名な絵描きがね、ニューヨークだけにいたのかって話ですからね。今、文化や芸術なんでもそうだけど、都市にいないとできないということは絶対にないんですよ。何かがおかしくなった。都市は生き物だと思うんですよ、僕は」。

 「都市は生き物?」と私が返すと、さらにこう続けた。「やっぱり大都市はね、もしかしたら青春の時代は過ぎている。街だから死ぬことはない、命がないから死ぬことはないんだけど。とくに東京でいいますとね、青春時代というのは昭和30年、40年だったと思いますね。何をやっても楽しい、本当に楽しい街、その時期はたぶん過ぎたろうな。この広い日本を見回したら、これから青春時代を迎える街がきっとあるはずなんです。そういうところで、若いひとたちがまとまって移住してね、文化を作って、街を作っていくという運動ができたら、若いひとたちは一から全部自分たちでできるしね、楽しいんじゃないかと思う」。

 杉作さんの話を聴いているうちに、ひとりの男の顔、否、男の顔を覆う緑の仮面が浮かんできた。

 プロレスラーのマッスル坂井さんが、家業の金型工場を継ぐために、東京から新潟へと舞い戻ったのは2010年のことだった。総合格闘技ブームの煽りを食い、プロレスが斜陽産業となっていたゼロ年代。坂井さんは、予定調和と揶揄されることもあるプロレスの守秘義務に覆い隠された部分を逆手に取り、お笑いや演劇の要素も融合した『マッスル』という革新的な興行を演出し、マニアから熱狂的な支持を得ていた。ところが、坂井さんには、新潟市内にある大きな金型工場「坂井精機」の跡取り息子という保守的な一面もあった。

 「坂井精機」の専務取締役となり、プロレスを引退した坂井さんだったが、新潟で社会人プロレスのリングに上がったことを契機に、なし崩し的に復帰を果たす。やがて、新潟のソウルフードである笹団子を模した緑のマスクを被ったスーパー・ササダンゴ・マシンは、新潟総合テレビのイブニングショー『八千代ライブ』の司会を務めるようになる。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和2年1月13日第3240号7面 掲載

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