【元漫才師の芸能界交友録】第12回 水道橋博士② 番組降板の真意を弁護/角田 龍平

2019.10.03 【労働新聞】
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待望の地上波ラジオで共演
イラスト・むつきつとむ

 20代は自分がどこにも帰属しない不安感といつも隣合わせだった。大学を卒業してから、司法試験に合格するまで8年の浪人生活を余儀なくされた。司法修習を修了し、法律事務所に就職する頃には疾うに三十路を超えていた。

 就職先のボス弁は寛容だった。ボス弁とは経営者弁護士の俗称だ。一方、勤務弁護士はイソ弁と呼ばれる。居候弁護士の略称らしい。弁護士になって間もないイソ弁が勝手にオーディションを受けて「オールナイトニッポンをやることになった」と事後報告すると、ボス弁は「どんどん、やったらいいよ」と笑って許してくれた。

 「角田龍平のオールナイトニッポンR」(ニッポン放送)は2009年1月から始まった。司法試験で失われた10年に溜まった心の澱を土曜の深夜3時に吐き出した。当初は3カ月で終了する予定だった番組は、リスナーの支持を得て延命したものの、1年で終了。再び「オールナイトニッポン」のテーマ曲「ビタースウィートサンバ」に乗せて喋るために地上波放送復活をめざして、ポッドキャストというインターネットラジオの配信を開始した。20代の終焉と共に司法浪人にピリオドを打ったはずが、三十路を過ぎて今度は地上波に居場所のないラジオ浪人となる。

 ニッポン放送から一向に声がかからぬまま、ポッドキャストが本末転倒の配信200回を達成し、ラジオ浪人6浪目に突入した16年春。ディレクターから朗報が寄せられた。ニッポン放送が、憲法記念日の特別番組のパーソナリティに私を起用することを決めたという。放送時間は午後1時から3時間というワイド番組だった。

 放送作家と話し合い、午後2時からの1時間はゲストを迎えてフリートークをすることになった。作家は複数のゲスト候補を挙げたが、私の選択肢はひとつだけだった。

 曲がりなりにもラジオ浪人を6年も続けられたのは、ラジオの目利き、いや耳利きというべき水道橋博士さんがポッドキャストをレコメンドしてくれたことが大きかった。博士さんと面識ができた12年10月以降、仕事で来阪した博士さんを新大阪駅で待ち受け、博士さんが最終の新幹線で帰京するまで、駅構内の居酒屋で放送界と法曹界の情報交換をする間柄になっていた。

 博士さんが生放送のテレビで、政敵やコメンテーターに不寛容な姿勢を貫く大阪市長から「小銭稼ぎのコメンテーター」呼ばわりされたことに抗議して番組を途中降板した時は、ポッドキャストで博士さんの真意を推し量り弁護した。意気に感じてくれたのか、博士さんがSNSでポッドキャストを拡散すると、リスナーが飛躍的に増えた。

 博士さんとの関係を深めるきっかけになった不寛容な大阪市長と、ラジオパーソナリティになることを後押ししてくれた寛容なボス弁が、橋下徹という同一人物なのだから人生は面白い。

 3年前の憲法記念日の昼下がり。AM1242キロヘルツから流れてきたのは「ビタースウィートサンバ」ではなく、博士さんが選曲した矢野顕子と忌野清志郎が歌う「ひとつだけ」だった。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和元年10月7日第3227号7面 掲載

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