【元漫才師の芸能界交友録】第13回 水道橋博士③ 思い出に節度なし/角田 龍平

2019.10.10 【労働新聞】
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ワゴン車で9時間かけ来訪
イラスト・むつきつとむ

 「もし師を失った時の指針は?」。大学生にそう問われた博士さんは「ぼくの師匠はビートたけしと高田文夫のふたりだけ。でも他にも先生はたくさんいる」と答えて、いとうせいこうさんや町山智浩さんの名前を挙げた。

 その日、私は博士さんと共に京都造形芸術大学の春秋座の舞台に上がっていた。特別講師である博士さんの講義を聴きに行ったはずが、「ぼくがコンプライアンスに反することをいったら、隣からささやいて。『船場吉兆ささやき女将』ごっこをやろうよ」と持ちかけられ、急遽登壇する羽目に。ところが、今時の大学生は件の食品偽装問題など知る由もない。早々にささやき女将の設定を放棄し、特等席で講義に聴き入った。博士さんが学生に「師を持つことのススメ」を説くと、冒頭の質問が飛び出した。

 私も師匠はオール巨人ただひとりだが、先生はたくさんいる。とりわけ博士さんから受けた影響は計り知れない。著作は全て読んでいる。先日、プロレスに詳しい専門家として長州力さんとテレビで共演した時も、長州さんと博士さんの対談本を読み込み、本の内容を全て頭に入れて収録に臨んだ。そもそもこの連載自体、博士さんが芸能人との邂逅を描いた「藝人春秋」のオマージュである。文章でも行動でも韻を踏む博士さんは、自らを「思い出に節度がない」と評し、15万字もの自分史年表を作成している。

 年表には2012年10月5日の出来事として次のように記載されている。「新宿FACEにて『長州力VS高田延彦』トークイベント。現役時代を含めて合計会話時間が5分間しかないという両雄の試合を成立させる。終演後、25年来の浅草キッドファンである角田龍平弁護士が控え室を訪問、初対面。挨拶を交わす」。面識もないのに思いきって控え室を訪ねたのは、博士さんがよく口にする「出会いに照れるな」という言葉を実践したつもりだった。

 年表の16年5月3日には、前回書いたラジオでの共演について触れている。「ニッポン放送のゴールデンウィークスペシャル枠で『しゃべる弁護士・角田龍平の2016年3分の1勝手に総決算!』生放送。2時台のゲストとして出演。アイコンタクトでわかりあう」。

 3カ月後の8月7日には「角田龍平の義父である東映の土橋亨監督のお宅に招かれ、宴会」と記されている。博士さんがラジオで話題にした「時計じかけのオレンジ」や「太陽を盗んだ男」を思春期にみてから、勉強もせずに映画ばかりみていた。それから25年が過ぎ、博士さんが学生時代にみた「仁義なき戦い」シリーズの助監督である岳父を訪ねて、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・太秦」を語らう日が来るのだから、因果は車の輪のごとし。

 年表は17年1月24日で終わるが、その後も博士さんとの交流は続く。18年3月28日には、所属事務所のお家騒動の渦中に「角田龍平の蛤御門のヘン」出演のため、後輩芸人の運転するワゴン車に乗って、東京から9時間かけてKBS京都ラジオへ駆けつけてくれた。「ぼくの好きな先生」水道橋博士との思い出に節度なし。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和元年10月14日第3228号7面 掲載

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