【元漫才師の交友録】第65回 塩田武士① “グリ森事件”に着想得る/角田 龍平

2020.11.12 【労働新聞】
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キツネ目の男は今どこに?
イラスト・むつきつとむ

 2016年2月13日。その冬、何度目かの雪が京都の夜空に舞っていた。講談社で編集者をしている友人から、「紹介したい人がいる」といわれ、大文字山の麓の中華料理店で塩田武士さんと初めて会った。初対面だというのに、数時間後には気鋭の小説家とわが家で酒を酌み交わしていた。

 「わが家」といったものの、登記名義は義父になっている。詰まる所、私はマスオさんであり、特段の事情がない限り、妻の実家へ夜遅く人を招き入れることはない。しかし、この夜は特段の事情があった。塩田さんが話す小説のプロットを聴いて武者震いした私は、その作品世界を着想した小説家への興味が抑えられなかったのだ。

 しばらくして、塩田さんが送ってくれた小説のプルーフ(仮に製本した見本)を読み始めると止まらなくなり、入浴中も手放せなかった。おかげで、プルーフは子供の頃にみつけた道端に落ちていたエロ本のように湿気を帯びてフニャフニャになった。

 あの夜、雪化粧を纏っていた大文字山に送り火が灯る季節がやって来た。フニャフニャになったプルーフは荘厳なハードカバーに衣替えして、書店に平積みされていた。現在公開中の映画『罪の声』の原作が発売されたのは、4年前の夏だった。

 塩田さんは学生時代に「グリコ・森永事件」のルポルタージュを読み、テープに録音した複数の子供の声が恐喝に使われたことを知った。幼少期に訳も分からぬまま昭和最大の未解決事件の共犯者となった子供たちは、今どこで何をしているのだろう? もしかしたら、同世代の子供たちと、どこかですれ違ってはいやしないだろうか?

 「グリコ・森永事件」は発生から15年で公訴時効を迎えたが、塩田さんは着想から15年で『罪の声』を世に出した。『罪の声』では、テーラーを営む“曽根俊也”と新聞記者の“阿久津英士”が「ギンガ・萬堂事件」の真相解明に当たる。曽根俊也はテープの声の子供の、阿久津英士は新聞記者だった塩田さん自身の化身である。

 大学在学中から小説を書き始めたものの、社会経験の乏しさが筆を鈍らせていることに気付いた塩田さんは、小説家になるための手段として神戸新聞に入社。実在の事件を丹念に取材して記事にすることを反復継続しているうちに、リアリティー溢れる筆力が培われた。

 『罪の声』では、昭和最大の未解決事件についてある仮説が提示されるが、神戸新聞で磨いた綿密な取材力と精緻な文章力で、読者にフィクションとノンフィクションの境界線を見失わせる。数多の事件を報じてきたあの久米宏さんでさえ、ラジオで『罪の声』を「『グリコ・森永事件』の真相が書かれています!」と興奮気味に紹介したほどだった。

 『罪の声』の新聞広告に載せるコメントを依頼された私は、1984年に新聞各紙へ送られた「どくいりきけん たべたら しぬで かい人21面相」という挑戦状へのアンサーを寄せた。

 「かい人21面相え ばれてるで よんだら きけん つみのこえ」。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和2年11月16日第3281号7面 掲載

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