【元漫才師の交友録】第50回 サカイのオジサン② 自らの感染恐れ遺書も…/角田 龍平

2020.07.16 【労働新聞】
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義務感と使命感で治療した
イラスト・むつきつとむ

 30年来の友人であるMが内科医として勤務する病院へ、新型コロナ専用病棟を作るよう大阪府から指示があったのは、緊急事態宣言が発令された4月7日のことだった。寝耳に水の出来事に、勤務中泣いている看護師もいた。レッドゾーンとグリーンゾーンを分けるゾーニングについても、テレビをみながら「そうやってやるんや」と模索する手探りの状態だった。医師ですらそうなのだから、清掃員はなおさら五里霧中だった。「どうやって掃除すんねん?」「モップで拭くんちゃうの?」「とりあえず水で拭いとこか」と相談しながら掃除をしていた。

 Mはスーツケースに荷物をまとめると、妻子を残して家を出た。感染者用病棟が元々あり、患者の動線が明確に分けられている指定病院でも院内感染が起こっていた。「エボラ出血熱を受け入れる病院やで。それなのに院内感染が起きてるんやから、そういう対応をしていない、清掃員が『どうやって掃除すんねん』とかいってる病院で感染を止められる訳がない」。Mには絶望しかなかった。「自分は死ぬかもしれない」。Mは家族に遺書を託したが、同じことをした同僚も少なくなかった。

 免疫力が低下すると感染のリスクが高まるので、ホテルに戻ると栄養を十分に摂るようにした。風呂から出てきて鏡をみると、ゴーグルの跡が残ったままだった。防護服の脱着の際に感染を起こしやすいため、一度レッドゾーンに入ると出られなくなり、一日中フルガードで過ごしていたからだ。午後10時には就寝したが、何度も自分が感染する夢をみた。重症者を受け入れていたので、他院の軽症者や中等症者が症状の悪化により転院してきた。朝まで元気だった患者が、昼過ぎに運ばれて来ると同時に人工呼吸器につながれ、翌日に亡くなることもあった。明日は我が身だった。「格好悪いが、正直いって逃げたかったよ」とMはいう。「1年仕事を休んだら感染は収まっているんじゃないか」とも思った。それでもMを病院に向かわせたのは医師としての義務感と使命感だけだった。同じ境遇のドクター仲間とLINEグループで、「誰ひとり欠けることなく、これを乗り越えて皆でまた会おう」と誓い合った。5月下旬、Mの勤める病院に入院していた新型コロナの患者が全て退院し、緊急事態宣言も解除された。2カ月ぶりに自宅へ帰ると、中学生の息子の背が少し伸びていた。

 Mの息子は今、私とMが人格形成期を共に過ごした京都市内の男子校に通っている。私がホストを務めるラジオ番組で、Mが「サカイのオジサン」と名乗り、新型コロナ専用病棟での壮絶な体験談を語った数日後。母校のN先生から「ラジオ聴いたよ。サカイのオジサンって、Mだろ? 今度、在校生相手に講演をしてくれないかな」と電話があった。早速Mに連絡すると、「息子の前で話すのは照れ臭い」と気乗りしない様子だった。「お前、もしかして遺書書いてへんのちゃう?」と揶揄うと、笑いながらMはいった。「そやねん。ほんまはずっと家にいてん」。そんな冗談をいえる日がずっと続くことを私は願っている。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和2年7月27日第3266号7面 掲載

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