【元漫才師の交友録】第66回 塩田武士② 英国自費取材の執念実る/角田 龍平

2020.11.19 【労働新聞】
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劇中の阿久津は塩田さんに重なるかのよう…
イラスト・むつきつとむ

 3年前の春、平成24年に刊行された塩田武士さんの小説『ともにがんばりましょう』が文庫化された。新聞社の労使交渉を描いた同書の解説に、私は次のような書き出しから始まる原稿を寄せた。

 〈かい人21面相え ばれてるで よんだら きけん つみのこえ

 私が著者の小説『罪の声』の広告に寄せた惹句である。グリコ・森永事件をモデルにした『罪の声』の快進撃が止まらない。平成28年8月に発売されるや、瞬く間に15万部を突破。山田風太郎賞、「週刊文春ミステリーベスト10」第1位に輝き、本屋大賞にもノミネートされた。近い将来、映像化されることも間違いないだろう〉

 「近い将来」が到来した今秋、全国東宝系で大ヒット上映中の映画『罪の声』の原作は、今や累計70万部を超える大ベストセラーとなった。

 『罪の声』は、京都でテーラーを営む曽根俊也が、父の遺品の中にカセットテープと黒皮の手帳をみつける場面から物語が始まる。俊也がテープを再生したところ、聞こえてきたのは幼い頃の自分の声だった。「京都へ向かって、1号線を2キロ、バス停城南宮の、ベンチの腰掛の裏」。

 手帳には、英文に混じって製菓メーカー「ギンガ」と「萬堂」の文字が記されていた。31年前に発生した未解決事件「ギンガ・萬堂事件」を連想した俊也は、検索窓に事件の名を入れて、犯人グループが金の受け渡し場所の指示に使った子供の声をアップしたサイトに辿り着く。幼き共犯者の声を聞いた俊也は、聞き覚えのある声に戦慄を覚える。「京都へ向かって……」。

 19年前、大学生だった塩田さんは「グリコ・森永事件」で複数の子供の声が犯行に使われたことを知り、事件に巻き込まれた子供たちの人生に思いを馳せた。その子供たちの物語をいつか書きたいと思ったが、子供のひとりに俊也という人格を与え、大日新聞記者の阿久津英士と事件の真相を追う物語を完成させるまで15年の歳月を要した。

 塩田さんは神戸新聞の記者時代に小説家としてデビューすると、『罪の声』以前に8作品を刊行していた。『ともにがんばりましょう』をはじめ秀作揃いだったが、売上げは芳しくなかった。それゆえ、『罪の声』の山場となる阿久津が事件の全容を知る人物をイギリスのヨークに訪ねる場面の取材も、自費で同地に赴くしかなかった。ロンドンの安宿に泊まり、ヨークの街を半日かけて歩き回った。この街で何かをみつけなければならない。取材の出来不出来が、作品の完成度の鍵を握っていた。極限まで追い込まれていたが、不思議とアドレナリンが出て、精力的に取材を続けた。足を痛めて歩けなくなり、やむなく腰掛けたベンチで、夏のイギリスらしい午後8時の夕焼けを眺めながら「絶対にこの小説を成功させる」と改めて決意した。

 東宝の試写室で映画になった『罪の声』をいち早くみた塩田さんは、小栗旬さん演じる阿久津がイギリスの古い街並みを歩くシーンをみながら、あの夏、京都の城南宮ではなくヨークのベンチで自分に出した指示を思い出していた。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和2年11月23日第3282号7面 掲載

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