【元漫才師の交友録】第48回 マサ斎藤 30年越しの海賊男征伐/角田 龍平

2020.07.02 【労働新聞】
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往年の輝きを取り戻す!!
イラスト・むつきつとむ

 まさかアクリル板に隔たれた生活が日常の風景になるとは誰にも予見できなかった10年前の夏。アクリル板越しの依頼者は、長引く拘置所暮らしに疲弊していた。雑居房に戻りたくない彼と長時間接見をしていると、お互い学生の頃に何度も同じ会場でプロレスを観戦していたことが分かった。「拘置所にいる間に、あなたの『監獄固め』を開発しましょう」というと、彼の表情が少し和らいだ。

 「監獄固め」とは、仰向けに倒れた相手の両足を4の字に交差させ、自分の両足でロックして腰を落として締め付けるプロレス技だ。今は亡きマサ斎藤さんが、アメリカで警察官を殴って服役した刑務所で考案した。マサさんは東京五輪のレスリング日本代表という金看板を引っ提げてプロレス入り。パンパンに鍛え上げられた肉体と野性味溢れる髭面は言語を超えた説得力があり、日米のマットでトップを張った。学生時代の私は、マサさんの顔がプリントされたTシャツを好んで着ていた。何度も洗濯しているうちに誰の顔だか分からなくなった髭面の男をみた見知らぬ年配の女性から「あんたオウムか?」と電車の中で不審がられたこともあった。90年代半ばの話である。

 2016年の冬。元新日本プロレス執行役員の上井文彦さんが、大阪の西天満にあった私の法律事務所を訪ねて来た。上井さんがプロデュースする自主興行にマサさんが登場するという。マサさんは、99年に引退した後、パーキンソン病を患い、表舞台から姿を消していた。リングに立つマサさんをみられるなら行くしかない。私がチケットを購入すると、上井さんは「当日は海賊男が乱入することになっています」と不吉な予告をした。

 1987年3月26日。新日本の大阪城ホール大会で、試合結果に不満を持った一部観客が暴徒化し、会場に火をつけ、警察と消防が出動する騒ぎが起こった。きっかけは、マサさんとアントニオ猪木が対戦したメインイベントに乱入した海賊男だった。アイスホッケーのマスクを被り海賊風の衣装を身にまとった海賊男は、猪木に手錠を掛けるべきところを間違えてマサさんに手錠を掛けてしまったのだ。ボタンの掛け違えならぬ手錠の掛け違えにより、試合は収拾がつかなくなり、観客の暴動を惹起した。

 新日本の黒歴史から約30年後の16年12月12日。大阪城ホールから車で10分ほどの距離にある城東区民センターのリングにやせ細ったマサさんが上がっていた。立っているのもやっとの状態で、マイクを握って挨拶をしようとするが、言葉がなかなか出てこない。それでも絞り出すように座右の銘を口にした。「ゴー・フォー・ブローク」(当たって砕けろ)。涙でかすんだ私の視界に、アイスホッケーのマスクを被った海賊男が入ってきた。その後、リングで起こったことを医学的に説明するのは難しい。パーキンソン病で体の動かないマサさんが、乱入してきた武藤敬司選手扮する海賊男相手に大立ち回りを演じたのだ。憲法22条1項は職業選択の自由を保障しているが、マサさんはプロレスラー以外に職業選択の自由がない選ばれし者だった。

筆者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

この連載を見る:
令和2年7月13日第3264号7面 掲載

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