【国土を脅かす地震と噴火】9 平安時代の富士山① 有史以来最も活発な時期/伊藤 和明

2018.03.12 【労働新聞】
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溶岩流れ込み湖は沸騰する
イラスト 吉川 泰生

 活火山富士は、現在こそ沈黙を保っているが、歴史時代にはしばしば大規模な噴火を引き起こしてきた。富士山が活動している状況を詠んだ歌は、『万葉集』をはじめ、柿本人麻呂の『柿本集』などに収められており、当時は、山頂からたえず噴煙が上がっていたことを物語っている。

 「ふじのねの たえぬ思ひを するからに 常盤に燃る 身とぞなりぬる」

 『柿本集』に載るこの和歌が、今知られている限り、富士山の活動を詠んだ最古の作品であるらしい。人麻呂が盛んに歌を詠んでいた時代から推測すれば、7世紀末~8世紀初頭の作とされている。約4500首の和歌を収めた『万葉集』にも、富士の山頂から火柱や噴煙の上がっている光景を思わせる歌が複数みられる。

 また、正確な年代を付した最古の噴火記録は、『続日本紀』に載る781年8月4日(天応元年7月6日)の噴火である。「駿河の国からの情報として、火山灰が雨のように降り、灰の及んだ所では、木の葉がすべて枯れてしまった」と記されている。

 平安時代に当たる9世紀~11世紀は、有史以来、富士山の活動が最も激しかった時代である。800~802年(延暦19~21年)にかけて、大規模な噴火が続いた。『日本後紀』には、「昼は噴煙によって暗くなり、夜は火光が天を照らし、雷のような鳴動とともに、火山灰が雨のごとく降り、山麓を流れる川の水が紅色に変わった」との記載がある。このときの大噴火による噴出物で足柄路が埋没したため、新たに箱根路を開いたと伝えられている。

 864(貞観6)年の噴火は、歴史時代になってから最大規模のもので、「貞観の大噴火」とも呼ばれており、平安時代の歴史書『日本三代実録』に詳細な記述がある。それによれば、「膨大な量の溶岩が山野を焼きつくしながら流下し、本栖湖と剗(せ)の湖(うみ)に流れこんで、水を熱湯に変え、魚などを死滅させるとともに、多くの農家を埋没した」とある。

 この溶岩流によって、当時あった剗の湖は2つに分断されてしまった。それが現在の西湖と精進湖である。今、西湖や精進湖、本栖湖の湖岸に黒々と露出している溶岩は、このとき噴出した溶岩流の末端部分である。

 貞観の大噴火は、富士山の北西斜面で始まった。現在は長尾山と呼ばれている側火山の周辺に、長さ約3キロに及ぶ火口群を生じ、大量の溶岩を流出、斜面を広く扇状に覆った。溶岩の総量は、約1.4立方キロと推定されている。この溶岩流は「青木ヶ原溶岩」と呼ばれており、1100年余りの間に、この上に大森林が発達してきた。いわゆる「青木ヶ原樹海」で、野生生物の宝庫としても知られている。

 貞観の大噴火の後も、富士山は頻繁に活動を繰り返し、しばしば溶岩を流出した。932(承平2)年の噴火では、噴石によって大宮浅間神社が焼失した。937(承平7)年の噴火については、『日本通記』に「甲斐国言、駿河国富士山神火埋水海」とあり、溶岩流が川を堰き止め、現在の山中湖が誕生したと推定されている。

筆者:NPO法人防災情報機構 会長 元NHK解説委員 伊藤 和明

平成30年3月12日第3152号7面 掲載

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