【ひのみやぐら】「躾」は信頼がベース

2018.10.26 【社説】
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 整理、整頓、清掃、清潔、躾をローマ字表記したときの頭文字をとった5S活動。もはや日本の事業場では欠くことのできない安全衛生活動といえる。今では産業界だけではなく、医療や介護の分野でも取り入れられているそうだ。

 労働災害防止の現場に携わってから、日ごろ疑問に感じていたことがある。整理、整頓、清掃、清潔は同じような意味にとれるが、最後に掲げる「躾」は毛色が異なる言葉と感じたことはないだろうか。「躾」とは何か、少々考えてみたいと思う。

 物の本によると躾とは、漢字ではないそうだ。いわゆる日本で作られた和製漢字で、「身」と「美」の組み合わせであるから、「身体を美しくする」という意味になる。具体的に美しさとは何かといえば、自分自身がとる行動だ。自己紹介やお礼、謝罪といった場面では礼儀が大事であり、日本においては身の振る舞い方が美しいほど、誠意がこもったものとして受け止められる。

 当然、形式的な礼儀の所作は生まれ持ったときから備わっているものではない。習得するためには、訓練が必要になる。つまりは躾だ。正しい整理、整頓、清掃、清潔といった行動は、躾によって完成されるといっても過言ではない。

 一方で、躾というのはなかなか簡単ではない。近年は少子化で、若者は親の期待を一心に受けて育てられていて、叱られる機会も少ないのではないかと感じる。躾というのは「叱る」という行為とセットのようなもので、「褒めて伸ばす」という今風の教育とは相容れないようだ。叱られ慣れていない若者は、指導する者が思うよりも萎縮してしまうことが少なくない。また、現在の中堅層も叱り方が上手とはいえるだろうか疑問が残る。「叱る」が「怒る」になってしまっていないだろうか。「怒る」は自分の感情を吐き出しているだけで、およそ相手に物を伝える行為ではない。

 「叱る」は指導者、指導を受ける者双方に信頼関係があって初めて成り立つものと考える。つまりは日常からのコミュニケーションが大切で、これを欠いては「躾」は無理ではないだろうか。

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平成30年11月1日第2317号 掲載

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