【本棚を探索】第17回『いい日だった、と眠れるように 私のための私のごはん』今井 真実 著/岡根谷 実里

2022.05.12 【書評】
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笑顔になれる簡単レシピ

 現代社会で働く人は、とにかく忙しい。仕事が終わったら休めるかというとそんなことはなく、家の仕事が待っている。料理、洗濯、掃除、子どもがいるとさらに宿題の面倒をみたり習い事の送り迎えがあったり。目の前のことに必死で生きていると、季節すらも気付かぬうちに過ぎ去っているのではないだろうか。

 料理家であり2児の母でもある今井真実さんは、本書の中で「全てが100点なんて無理で、毎日やっとやっとで生活している」と綴る。今井さんといえば、身近な季節の食材を使ったあっと驚く組合せのレシピが人気で、インターネット上でもファンの多い料理家さんだ。そんな彼女の料理が生まれるのは、整ったキッチンスタジオなどではなく、生活の一部である家の台所でのことなのだ。

 仕事が押し、息子さんの習い事の送り迎えと娘さんのための用事などもこなしたある日の夕飯は、お鍋任せのゆで豚。下ごしらえをしたのち1時間ゆでる。その間にようやくひと息つける。しっとりと仕上がったら薄く切り、薬味や梅干しなど好きなものをつけて食べる。彼女のレシピの中でもとくに人気の一品がそんな生活の中から生まれたと知ると、本当にうまくできているとため息が出る。火加減の気患いから解放され、「この味付けで食べてくれるだろうか」という味付けの心配も手放せる。決して手のかかったご馳走ではないけれど、食卓を囲む皆が笑顔になれる。余裕がない日でも「これなら大丈夫」とポジティブな気持ちで台所に立つことができる、救いのようなレシピなのだ。

 数々のおいしそうな(だけれどもそれだけではない)料理が生まれる日常と、一つひとつの料理にまつわるエピソードを読み進めるうち、あらゆることがうまくいかなかった日のクサクサした気持ちも、人間関係でトラブった日の落ち込みも、優しく包み込まれてほぐれていくように感じる。こんな日はゆで豚だな、ナンプラーバター枝豆ってなんてわくわくするんだろう!とか想像するだけで、にやにやしながら1日を終えられる気がする。

 料理をするというのは、地球上の誰もが主権を持てる行為だと私は思う。高度なつながりの中で生きる現代社会、自分の手ではどうにもならないことばかりだ。国際政治や会社の意思決定に翻弄されて生きている。そんな中で、自分の手で食材を選び取って食べられるものに換え、笑顔を生み出すというのは、地球上の誰もが持つことのできる力強い行為なのだ。

 本書にあるレシピを持って台所に立つと、自分がちょっと強くなったような気がする。どんなおいしい料理ができちゃうんだろうとわくわくし、薬味を刻んだり枝豆を炒めたりしながら「そういえばもう夏なのか」と季節の移ろいにも気付く。自然が遠くなる現代社会だけれども、自然界のものを自らの手で食べられるものにする行為は、私たちを自然に返し、癒してくれる行為でもあるのだ。

 料理をする人にもそうでない人にも、おすすめしたい。きっと今日も「いい日だったなあ」と思って眠れるはずだから。

(今井 真実 著、左右社刊、1870円税込)

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世界の台所探検家 岡根谷 実里 氏

選者:世界の台所探検家 岡根谷 実里
89年生まれ。各国の家庭で一緒に料理をしており、書籍に『世界の台所探検 料理から暮らしと社会がみえる』(青幻舎)。

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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令和4年5月16日第3352号7面 掲載

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