【本棚を探索】第22回『平成転向論 SEALDs 鷲田清一 谷川雁』小峰 ひずみ 著/三宅 香帆

2022.06.16 【書評】
  • TL
  • クリップしました

    クリップを外しました

    これ以上クリップできません

    クリップ数が上限数の100に達しているため、クリップできませんでした。クリップ数を減らしてから再度クリップ願います。

    マイクリップ一覧へ

    申し訳ございません

    クリップの操作を受け付けることができませんでした。しばらく時間をおいてから再度お試し願います。

政治はどう語るべきか?

 私は本書の著者と同じ年齢なのだが、「SEALDs」という名前のことはよく覚えている。なぜ覚えているのかというと、彼らの政治活動や言葉がSNSを通して伝わってくることそのものが新鮮だったのもあるし、同時に、彼らを人文学系の著名人たちが一斉に賞賛していたからである。

 しかし実際のところ、彼らの活動の契機や、彼らの活動への同時代の評価が正当なものであったのかどうか、私は全くと言っていいほど知らなかった。本書は平成後期に生まれた若者の政治団体として最も大きかったであろうSEALDsの運動と思想を説明し、そしてそこから哲学者・鷲田清一の平成時代における思想の変化の指摘と、詩人であり活動家であった谷川雁の思想の再評価を行う。

 本書の大きな論点は、「政治をどのような言葉で、だれが語るのか」という問いである。たとえば鷲田清一は、阪神淡路大震災をきっかけに「哲学を語る文体」を考え直すようになる。哲学研究といえば、恐らく大学で哲学を学んだことのない人でも容易に想像できるとおり、難解かつ抽象的な言葉を使うものだ。それは西洋から輸入した概念を使う限り、仕方のないことなのかもしれないが、鷲田はそこに疑問を持つ。日常からかけ離れた言語で、哲学は語られるべきなのか?と。

 同様にSEALDsという団体の特徴もまた、「政治を日常からかけ離れたものとせずに、日常と密接なものとして捉え直そう」という思想にあった。だからこそ彼らは政治を語るときも、日常に近しい言葉を使った。SEALDsを賞賛する著名人たちは、彼らの言葉を褒めることが多かったという。一方で、SEALDsは日常から離れなかったぶん、政治活動に特化した組織を作り出すこともなかった。それゆえに彼らの活動は終わりを迎えてゆく。そして著者は、50~60年代に労働争議で活動した谷川雁の思想を紹介する。SEALDs、鷲田、谷川の思想がつながる瞬間は本書の読みどころのひとつである。

 ブラック・ライブズ・マターの運動などと比較しても、日本の政治運動は、言葉を選ばずに言えば「意識高い系」若者と、学生運動の名残りがある60歳代以上の人々のものとされやすい。日常が忙しいなかでどうやって政治に向き合うのか?と聞かれると、多くの人は選挙くらいしか思いつかない、と言うだろう。だがそれでは、著者も指摘しているとおり、階級を超えた政治運動はいつまでも生まれることはない。かつての労働運動や政治運動の「人気」がなくなった今、どのように政治は語られるべきなのか。その実践の軌跡も、本書には記録されている。

 あくまで私の主観だが、平成が終わり、令和になった現在、日常から離れない言葉――つまり「やさしい」言葉で綴られた人文書は日に日に増えているように感じる。インターネットにおいても、「やさしい」言葉で政治を語ろうという風潮は強くなっているが、その文体は、重要なものを見落とすことにはつながらないだろうか。本書を読むと、そんな疑問が湧いてくる。政治運動なんて遠いものだと感じる人こそ、本書の説明が心に響くのではないか。

(小峰 ひずみ 著、講談社刊、1650円税込)

Amazonで購入する 楽天ブックスで購入する

書評家 三宅 香帆 氏

選者:書評家 三宅 香帆

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

関連キーワード:
令和4年6月20日第3357号7面 掲載

あわせて読みたい

ページトップ
 

ご利用いただけない機能です


ご利用いただけません。