【本棚を探索】第11回『同志少女よ、敵を撃て』逢坂 冬馬 著/大矢 博子

2022.03.24 【書評】
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ウクライナ侵攻を想起

 昨年11月に刊行された逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』は、発売直後から大きな評判を呼んだ。新人のデビュー作であるにもかかわらず、刊行からわずか1カ月後には直木賞候補に選ばれるなど、昨年末から今年はじめにかけて出版界の台風の目であったことは間違いない。

 それがここに来て再び注目を集めている。なぜか。物語のテーマが、ソ連の戦争だからだ。

 舞台は第2次世界大戦下のソ連。1942年のある日、16歳の少女セラフィマの暮らす小さな村をドイツ軍が襲撃した。村人も母も目の前で殺され、唯一生き残ったセラフィマ。彼女は復讐を誓い、女性狙撃兵訓練学校に入る。

 そこにいたのはセラフィマと同じように家族を殺された少女たち。彼女らは厳しい訓練に耐え、やがて、スターリングラード攻防戦をはじめとした最前線へ送られることになる。

 敵を殺さなければ自分が殺される。そんな状況の中で、はじめは動物ですら殺すことを逡巡していた少女たちが、いつしか殺した敵兵の数を「スコア」と呼んで競うようになる。戦争という理不尽が人間の精神を歪めていく描写が圧巻だ。

 彼女たちが向き合うのはドイツ兵だけではない。同じソ連軍の中にあっても、性差や出自、理念、経験、所属部隊、階級――さまざまな「違い」が彼女たちの置かれた状況を浮き彫りにする。さらには一般の人々もいる。ドイツ兵を愛したロシア人女性、銃撃戦に巻き込まれた子供……。

 彼女たちが、戦争の最前線で絶望ともに見たものは何だったのか。撃つべき「敵」とは誰のことなのか。戦争が終わった後、残されたものは何なのか。戦時下の無数の人々の叫びが、ここにある。

 ノーベル文学賞を受賞したアレクシエービチの『戦争は女の顔をしていない』で有名になったように、ソ連は女性兵士を前線に立たせた国だ。そして今、私が本書を紹介するのは、この物語にウクライナの少女が登場するからである。

 その少女――オリガは、セラフィマと同じ狙撃兵訓練学校に入り、同じように前線へと送られる。故郷ウクライナとソ連の間で引き裂かれるオリガ。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースに触れたとき、私は真っ先にオリガのことを思い出した。

 オリガは言う。「ウクライナがソビエト・ロシアにどんな扱いをされてきたか、知ってる?」「ソ連にとってのウクライナってなに? 略奪すべき農地よ」「ウクライナでは、みんな最初はドイツ人を歓迎していた。これで、ソ連からウクライナは解放されるんだって」。

 しかしオリガはソ連兵のひとりとして戦うのだ。それはなぜか。彼女に何があり、彼女が何を選択し、そしてどうなったか。どうか本編で確かめてほしい。

 反戦小説であるが故に、今回のことで著書が注目されるのは著者にとっては本意ではないかもしれない。だが私は、これを読んでいたからこそ今回のニュースを「オリガの国の話だ」と感じることができた。今のかの地にいる多くのオリガたちに思いを馳せた。これが、「ここではない場所・今ではない時代」を舞台にした文学の力なのである。

(逢坂冬馬著、早川書房刊、2090円税込)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子 

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

令和4年3月28日第3346号7面 掲載

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