【ひのみやぐら】意識高めたゼロ災運動

2019.11.26 【社説】
  • TL
  • ツイート
  • シェア
  • クリップしました

    クリップを外しました

    これ以上クリップできません

    クリップ数が上限数の100に達しているため、クリップできませんでした。クリップ数を減らしてから再度クリップ願います。

    マイクリップ一覧へ

    申し訳ございません

    クリップの操作を受け付けることができませんでした。しばらく時間をおいてから再度お試し願います。

  • コメント

 「キーパーソン」に登場する原田好雄さんからお話を聞いたのは、実は先輩記者だ。高度成長時代で労働災害が多発していたころ、中災防が推進するゼロ災運動を盛り上げたお一人として、「奮闘記」を取材している。記事中には、故田辺肇氏の名前も登場しており、氏を知る人にとっては万感胸に迫る思いがあるかも知れない。

 ゼロ災運動がスタートしたのは、昭和48年のことだ。前年には、労働安全衛生法が制定され、時代は新しい安全運動の誕生を求めていた。ゼロ災運動は災害件数ゼロ、疾病ゼロを目標に、職場の危険や問題点を全員参加することによって解決し、先取りの安全で明るく生き生きとした職場風土づくりを目的とした。

 人間尊重を基本とし、推進の三本柱を「トップの経営姿勢」「ライン化の徹底」「職場自主活動の活発化」に掲げ、理念を明確にすることで、運動は急速に事業場に浸透していった。

 ゼロ災運動と切っても切れないのがKYTだろう。昭和49年に住友金属工業が開発した4ラウンド問題解決法は、ゼロ災運動研修会でも組み込まれ、日本産業界の一大ムーブメントとなる。このときにご活躍されたのが、原田さんであり、故田辺さんというわけだ。

 わが国の労働災害件数が減少傾向を見せ、時代が安定成長期に入ったころ、ゼロ災運動は新たな展開を見せるようになる。平成7年には、労働省と警視庁の連携のもとに「新交通危険予知キャンペーン」を全国に展開、平成13年にはヒューマンエラーによる医療事故防止を目的とするなど新たな分野に進出していった。

 海外でも関心が高く、韓国、台湾、シンガポールといった国はもとより、平成8年にはタイ、同14年はモンゴルにも紹介され、高い関心を持たれているという。

 「全員先取りの安全運動」として、わが国の現場で働く人たちに、安全意識を植え付けたという点で、ゼロ災運動の果たした役割は大き過ぎるといっても、大袈裟ではないだろう。真に災害のない職場づくりに終わりはない。弊誌では今後の行方を見守っていきたい。

関連キーワード:
2019年12月1日第2343号 掲載

あわせて読みたい

ページトップ