村上水軍の誇りを胸に/村上社会保険労務士事務所 所長 村上 正雄

2024.01.28 【社労士プラザ】
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村上社会保険労務士事務所 所長 村上 正雄 氏

 能登半島地震で被災されました多くの方々に追悼の意を表しますとともに心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧ならびに復興を祈念申し上げます。

 私は、村上水軍の末裔である。そう信じている。

 私の父は、能島村上水軍の本拠地のあった愛媛県今治市宮窪町の生まれである。現在の戸籍で遡る限り直系尊属はその地に居住していた。ほぼ間違いなかろうと思う。

 この村上水軍、昨今は村上海賊とも呼ばれ、海の荒くれ者の集団で悪さばかりしていたと誤解されている向きもあるので、少し説明をしておく。

 昔は、物資の輸送は舟運が中心であった。そもそも陸路は江戸時代に整備されたのであり、それ以前と言えば圧倒的に陸路は不都合で海路が中心であった。

 中世において瀬戸内海は西日本から京への物流の大動脈であり、船運は潮流と風が頼りであった。多島海の瀬戸内海はその潮流の激しさゆえ、安全に積み荷を運ぶには高度の操船技術と海域を知り尽くした知識・知恵が必要だったのは言うまでもない。

 中世後期に村上水軍が活躍する以前は、積み荷の約4割が運賃として支払われていたらしい。それだけ払っても良いと思えるほど、幾多の困難があったのだ。

 そこで村上水軍は考えた。通関銭徴収制度を整え、徴収に加え証票を与え、水主が船に乗り込み「上乗り」と称し危険海域の水先案内をする。しかも武装集団だから本来の海賊からも守る。さらに他の水軍と連携して、証票を見せれば瀬戸内海全般の運行の安全を保障する。

 ここまでやって代金は積み荷の1割の金額とした。しかも年間契約の一時払いもあったらしい。ご先祖様、凄いよ。

 ここで思う。今の仕事と何か似ている…。通関銭徴収制度は社労士制度か。積み荷を運ぶ船は会社か。上乗りは社労士か。証票は社労士証票か。水先案内は労務管理か。代金は顧問料か。瀬戸内海は経済界か。

 村上水軍は、豊臣秀吉の天下統一に対し最後まで自治を守るため戦い、その結果滅びはしたが、“海の大名”と称され水軍を束ねた村上武吉の名は永遠に残るのである。没後420年となる。

 今生きる私は、ライフワークの「瀬戸内海沿岸&島嶼巡り」や趣味の「作詞・作曲・編曲」を健康寿命が尽きるまでやり、社労士ライフをエンジョイしたい。

村上社会保険労務士事務所 所長 村上 正雄【石川】

【連絡先はこちら】
〒923-0866 石川県小松市白嶺町1-16-1 Pファブリック2F
TEL:0761-23-6323

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令和6年1月29日第3434号10面 掲載

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