【本棚を探索】第10回『我が友、スミス』石田 夏穂 著/三宅 香帆

2022.03.17 【書評】
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爽快なる「2度の変化」

 会社で働いていると、「あれ?」と思うことがある。あれ? あの人、あんな感じの人だっけ? 雰囲気変わった? と。プライベートのことは話さないけれど、きっと何かしらの変化があったんだろうな……と思わせる、見た目の変わりっぷり。本書『我が友、スミス』は、普段は心の内を明かさない同僚の秘密を、こっそりと覗き込んだような心地にさせる不思議な小説となっている。

 何せ、本書のテーマは「筋トレ」。主人公は、ごく普通のアラサー会社員U野。彼女は、仕事帰りにジムで体を鍛えることを趣味としていた。ちなみに、タイトルにもある「スミス」とは、主に重量トレーニングを行う器具の名前だ。

 ある日、U野の日常に変化が訪れる。O島に、「ボディ・ビル大会に興味ない?」とスカウトされたのだ。U野が開いた新しい扉、それはボディ・ビル大会出場のために奮闘する日々だった。大会への出場選手を育てるパーソナルジムには、いつも通うジムとは違って、「スミス」が3台もあった。U野は大会出場を決心する。

 本書を読んでいると、何となく鍛え上げた筋肉を披露する場……というイメージしかなかったボディ・ビル大会がどんなものなのか、仔細に伝わってくる。日焼けをしていること、ヒールを履いていること、髪が長いこと、そのどれもが女性のボディ・ビル大会においては価値とされるのだった。重視されるのは筋肉だけではなく、”「ナチュラル」に女性として美しいこと”なのだ。いや大会のために髪を伸ばすことは全然「ナチュラル」じゃないだろう、人工的だろう――とツッコミを入れたくなるものだが、その暗黙の了解を、選手たちはしっかりと評価基準だと受け止めて、遵守する。

 U野は、ボディ・ビル大会出場によって、「別の生き物になりたい」という願望を持つ自分を発見する。そして大会出場のために厳しい食事制限や筋トレに励み、一方ではピアスを開けることや無駄毛の処理などの努力を重ねていく。そのなかで、ボディ・ビルの世界が意外と古典的な価値観を持つことに気付くのである。

 ありたい自分を求めて努力をしていたら、いつのまにかその目標達成のためには政治(つまり権力を得るために必要な社会的行動を取ることだ)が重要であると気付き、そもそも自分は何をしたかったのか分からなくなる……。それは筋トレに限らず、きっと誰しも体験したことのある構造ではないだろうか。

 結局、社会のために求められる自分でいないと、欲しいものは得られないのか。そう思って、肩を落とす日もある。

 しかし、作中でU野は2度にわたって変化する。まずは、ボディ・ビル大会のために変化する。そして、真に自分の欲望のために変化を遂げるのである。その爽快さを目の当たりにしてほしい。U野の変化はきっと、社会の抑圧など何もかもを吹っ飛ばして、強くありたいと願うすべての人に届くからだ。

 社会で何かと不自由を感じる世の中であっても、彼女の決心をみると、自由とはまずは心の内を自分で決め、そして柔軟に変容させられることなのだと、思うことができるのである。

(石田夏穂著、集英社刊、1540円税込)

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書評家 三宅 香帆 氏

選者:書評家 三宅 香帆

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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令和4年3月21日第3345号7面 掲載

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