【GoTo書店!!わたしの一冊】第38回『探偵工女 富岡製糸場の密室』翔田 寛 著/大矢 博子

2021.10.21 【書評】
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尾高惇忠の娘が謎を解く

 渋沢栄一の生涯を描く大河ドラマ『青天を衝け』が好調だ。幕末の動乱を経て、時代は明治に入った。新政府は諸外国に追いつくため様ざまな政策を実行に移すが、そのひとつが輸出品としての生糸の産出を担う富岡製糸場の建設である。

 初代工場長は渋沢栄一の師であり従兄であり義兄でもある尾高惇忠。ドラマでも今まさにそのくだりに差し掛かったところだ。

 しかし、政府肝煎りの事業にもかかわらず、工女志望者が集まらない。お雇いのフランス人が飲むワインを見て「外国人は生き血を飲む」という噂が流れたからである。

 尾高惇忠は窮余の一策として自分の14歳の娘・勇(ゆう)を工女の第1号にする。ドラマでは畑芽育さんが演じているこの尾高勇が『探偵工女 富岡製糸場の密室』の主人公だ。

 製糸場開業翌年の明治6年、場内の石炭室でひとりの工女が無惨な死体となって発見された。その部屋は外からは誰も入れない密室で、しかも凶器が見当たらない。まもなく皇太后と皇后の行啓も予定されており、司法省と宮内省は早急な解決のためそれぞれ捜査員を送り込んだ。そんな中、勇はあることに気付いて……。というのが物語の導入部だ。もちろん殺人事件はフィクションだし、尾高勇が探偵役というのも物語の中だけのこと。しかし製糸場の様子や仕組み、当時の社会の描写は史実に則っている。これが実に興味深い。

 工女たちの給与体系や寮での生活の様子。勤務時間や休日の決まり。工女たちは西洋式の製糸技術を学んで将来は各地に建設される製糸場で指導者になることを期待された「生徒」という扱いだったこと。紡績工場というと明治後半から大正にかけての実情を描いた『女工哀史』『あゝ野麦峠』などを思い出すが、スタート時点ではこういう理念があったのかと驚かされた。

 一方、世情は不安定だ。突如出現した巨大な西洋建築に反感を抱く人々。廃藩置県で何十万人もの武士が禄を失い、各地で反乱が起きる。旧幕時代となんら変わらない重税。それなのに新政府は派閥争いや出世競争に余念がない。

 これらの史実が単なる時代背景ではなく、事件の謎解きに大きくかかわってくるという構成こそ本書の最大の読みどころである。フィクションである殺人事件を通して、この時代が孕む問題と、そして希望を、本書は描いているのだ。

 尾高惇忠は、政府のためでも国のためでもなく貧しい庶民のために製糸場を運営する。技術を習得させることで地元の産業を盛り上げ、働く人々の生活が少しでも楽になるようにとの思いで仕事に向き合う。勇をはじめとするまだ10歳代の工女たちは、それぞれ家族の事情を抱えながら、外見も言葉も違うフランス人の指導を受けて、未知の技術の習得に励む。運営側も働く側も障害は多かったが、そこには未来への希望が感じられた。

 彼ら・彼女らが未来に託したものを、今の社会は実現できたのだろうか。新しいものへの無理解や、現場を無視した政治が、今もまかり通っているのではないか。ドラマと併せて読みたい一冊だ。

(翔田寛著、講談社刊、1650円税込)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。

令和3年10月25日第3326号7面 掲載

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