【書方箋 この本、効キマス】第30回 『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない』 マリー=フランス・イルゴイエンヌ 著/髙橋 秀実

2023.08.10 【書評】
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「感情を避ける」が特徴

 常日頃、生活態度について妻から叱責されている私は、てっきり自分がモラハラ(モラル・ハラスメント)の被害者だと思っていた。何しろ彼女の説教は明け方まで続くこともあるし、時として「出ていけ!」と怒鳴られる。実際、モラハラ関連の本でチェックしてみると、彼女の行為はほとんどモラハラに当てはまる。そこで念押しのつもりでモラハラの元祖ともいうべき本書を手に取ったのだが、読み進むうちにサスペンス小説のようなスリルを味わったのである。

 フランスの精神科医である著者によると、モラハラとは「精神の連続殺人」であり、その加害者は「精神の吸血鬼」または「自己愛的な変質者」だという。他人に共感できず、「中身が空洞」のナルシシスト。他人を支配下に置くことで自分を確認するのだが、主体性がないので常に無責任。人を愛することができず、ひたすら被害者から愛を求める……。

 妻は違う。

 と私は思った。彼女はむしろ共感しすぎて苦しんでいるし、常に主体的で責任感も強く、中身も愛であふれている。モラハラの加害者は「感情を避ける」そうだが、どちらかというと感情を避けているのは私の方ではないだろうか。

 驚かされたのは、モラハラ加害者の手口だった。

 「対話を拒否する」

 「話をそらす」

 「答えるのを避ける」

 もしかして俺のこと?

 いずれも身に覚えがあり、私はギクリとした。実は私は被害者ではなく加害者だったのかもしれない。相手が話し合おうとしているのに、それをはぐらかす。話を聞くふりをして聞き流し、相手に問いかけられると黙る。そして感情を表に出さず、「そっけない話し方」をする。無関心に見えるので相手の方が感情的になり、それに対して「きみはいつもわめいてばかりいる」などと嘲笑うらしい。

 その手口は狡猾で、黙ることで何かをほのめかしたり、言葉と行動を矛盾させることで、相手の誤解を誘導し、「誤解した」と罪悪感を抱かせる。自分自身の考えや感情を疑わせて不安に陥れ、思考を停止させる。著者曰く「精神の破壊行為」。日本では「沈黙は金」などといわれるが、愛の国・フランスでは沈黙はモラハラなのだ。

 無意識のうちに私もこれをやっている。強靭な魂の彼女に破壊行為が通用しないだけで、加害者であることに変わりはない。次の手口も私に当てはまる。

 「話を一般化する」

 お互いのことを話しているのに、一般論にすり替える。一般論にして自分の責任を回避し、専門用語や「難しい言葉」を使って優位に立とうとするのである。

 この手口については、かの紫式部も指摘していた。四書五経を引用して「したり顔」になる輩たちを「わろ者(困りもの)」として蔑んだのである。愛の語らいに四書五経は無粋。中途半端な知識人に限って漢語を使う、と糾弾するくらいで『源氏物語』もモラハラ文学といえるかもしれない。

 私も愛読書である『老子』をよく引用する。「それは『老子』にも書いてあったね」などと。彼女には「だから、何?」と切り返されるのだが、『老子』の正式名称は『老子道徳経』。それこそまさに「モラル(道徳)」ハラスメントだったのだ。

(マリー=フランス・イルゴイエンヌ 著、紀伊國屋書店 刊、2420円税込)

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ノンフィクション作家 髙橋 秀実 氏

選者:ノンフィクション作家 髙橋 秀実

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令和5年8月21日第3413号7面 掲載

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