【書方箋 この本、効キマス】第114回 『我、演ず』 赤神 諒 著/大矢 博子

2025.06.26 【書評】
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戦国生き抜く「負け上手」

 人生も仕事も連戦連勝、であればさぞかし気持ちが良いだろうが、そんなことはあり得ない。頑張っても負けることはあるし、戦う前から負けが見えていることも少なくない。時には、敢えて負ける方が賢いというケースもある。

 つまり問題は「負け方」なのだ。どんなふうに負けるかでその後が決まる。その鮮やかな負け方を見せてくれるのが、赤神諒『我、演ず』の主人公、佐野昌綱である。

 舞台は戦国時代。下野国南部に置かれた唐沢山城(現在の栃木県佐野市)は北関東最大の要衝であり、関東の覇権を争う北条と上杉の両方にとって、ぜひとも自陣に欲しい場所だった。

 大きな勢力があれば、周辺の弱小国はその傘下に入るのが当たり前の時代である。襲撃されれば援軍を頼み、挙兵を命じられれば応じる。助けてもらえることもあるが、無理難題を言いつけられることもある。それが戦国時代の力関係だ。だから小さな国はどこにつくのが有利か、情勢を見極める目が必要となる。

 だが唐沢山城主の佐野昌綱は上杉と北条という二大勢力に挟まれながらも飲み込まれることなく、両者の間を渡り歩いた。なぜそんなことが可能だったのか。それこそ「負け方」が上手かったのだ。

 物語は昌綱の青年期から始まる。ある出来事がきっかけで出奔していた昌綱は、父の訃報を訊いて12年ぶりに唐沢山城へ戻った。おりしも家中は上杉につくか北条につくかで二分されており、早くどちらかに決めて使者を出さねば敵とみなされ攻撃されてしまう。昌綱が選んだのは上杉だったが、実はこのあと、昌綱は何度も上杉と北条の間で寝返りを繰り返すのだ。

 というのは実は第3部の導入部である。ここまでの第1部と第2部は昌綱が家督を継ぐまでの話で、著者の創作も多いが時代小説として実にエキサイティングだし、後への布石もたっぷり仕込まれている。だがやはり注目したいのは状況に応じて寝返りを繰り返す第3部以降だ。

 なぜ寝返るのか。襲撃されたら負けることは明らかなので、その度に降伏するのである。たとえば北条方にいるとき上杉に攻められる。援軍が間に合わなければ負ける。負けるので降伏する。必然的に北条を裏切ることになる。これを繰り返すのだ。

 面白いのは、普通なら降伏した時点で処刑されたり殲滅させられたりするものだが、昌綱はあの手この手でそれを回避すること。状況を読み、思いがけない提案をしたり周囲を味方につけたり、時には芝居をしたりして、生かしておいた方が得と思わせる。「相手だけが得をする降伏など、ただの敗北」と昌綱は言う。昌綱は降伏という戦略で戦国を渡っているのだ。

 もちろん効果的に降伏するにはタイミングがあり、その過程で大事な家臣や家族を失うこともある。それでも佐野の領民のため、平和な未来のために最適な道を選ぶ姿は、施政者かくあれかしと思わせてくれる。

 勝ち続けることなど誰もできない。だとすれば、上手に負けることができる者が最も強いのかもしれないと思わせてくれる歴史小説だ。

(赤神 諒 著、朝日新聞出版 刊、税込2530円)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

 濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。

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令和7年7月7日第3503号7面 掲載
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