【書方箋 この本、効キマス】第60回 『停車場有情』 水上 勉 著/蜂谷 あす美

2024.04.04 【書評】
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人生の転機が蘇る一冊

 3月16日、北陸新幹線の金沢~敦賀が開業し、私の故郷である福井が東京と一本で結ばれるようになった。合わせて同区間の在来線を走り続けた「しらさぎ号」「サンダーバード号」などの特急列車たちは終焉を迎え、運行最終日の3月15日夜には大勢の「ありがとう」に見送られながら、赤いテールランプとともに去っていった。

 大学進学とともに上京、以来首都圏で暮らす私にとって、鉄道のなかでも特別な存在なのは、この地と故郷とを結ぶ「帰省路」だ。東海道新幹線で米原へ、さらにそこから特急「しらさぎ号」で福井へ向かう経路は、こちらが学生から社会人になろうとも退職願を提出しようとも変わらずそこにあり、折々の私が、帰省の数だけ重なっていった。

 一方では鉄道趣味が高じ、全国のJRすべてに乗り尽くした身。国内のJR線であればどこに出かけても「少なくとも2回目」の乗車となり、否応なしに前回の記憶、そして当時の心境を振り返る羽目になる。旅先には、過去の私の破片が落ちているのだ。

 人生と鉄道とを結び付けた人物に同郷の作家、水上勉がいる。氏のエッセイ集『停車場有情』では、記憶に残る駅とその思い出が時系列に紡がれていく。本稿執筆時点の3月下旬、すがりたくなるのは線路付け替えとともに廃止された駅にまつわる描写だ。

 刀根の駅を通らなくなってから何年になるだろう。余呉の湖面からみえる新線路から、いつも木之本へ入ってしまう列車の中で、古い鉄路が私の暦の中で、生きていることに気づいて、はっとする。

 地元を走る特急たちに憧れ鉄道ファンとなり、乗っているだけでは満足できず、鉄道旅の紀行文やエッセイを書くようになった身にとって、その原点である列車との別れは寂しい。けれども確かに思い出は、記憶のなかで生きていることを教えてくれる。

 また、本書を初めて読んだときからずっと惹きつけられているのは、自身の転機を描く場面だ。水上勉は事業の失敗など苦く辛い経験も多かったが、行商中に立ち寄った足利駅の売店で松本清張の『点と線』を購入。これに影響を受けて小説作品を執筆したことが文壇への足掛かりになったとしている。

 これも行商の一日に足利駅の売店で「点と線」を買わねばはじまらなかったことだったと思うと、いま、あの小さな駅の建物の、板に塗られた灰いろの塗料がはげ落ちて、うすよごれてみえた改札口や、五十すぎたおばさんが、新刊書を売っていた売店の光景があざやかによみがえってくる。

 この一節に触れるたび、過ぎた日々のなかに伏線があるのではないかと思え、人生そのものへの肯定感が高まる。

 たまたま私は鉄道が好きで、駅をテーマに据えたこの時間旅行記に魅了されているけれど、人によってはそれが車で走り慣れた道路かもしれない。おそらく鉄路だろうと、道路だろうと、本書を読んでいるうちに過ぎた日々のなかに取り残された、人生の転機が色彩豊かに蘇ってくるだろう。

(水上 勉 著、朝日文芸文庫刊)

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旅の文筆家 蜂谷 あす美 氏

選者:旅の文筆家 蜂谷 あす美(はちや あすみ)
出版社勤務を経て現在に至る。著書に『女性のための鉄道旅行入門』ほか。雑誌『鉄道ジャーナル』で「わたしの読書日記」など連載多数。

 レギュラー選者3人と、月替りのスペシャルゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。

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令和6年4月8日第3444号7面 掲載

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