【書方箋 この本、効キマス】第32回 『資本とイデオロギー』 トマ・ピケティ著/濱口 桂一郎

2023.08.31 【書評】
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「バラモン左翼」の由来は

 もう5年以上も前になるが、『21世紀の資本』がベストセラーになって売れっ子だったピケティの論文「Brahmin Left vs Merchant Right」(バラモン左翼対商人右翼)を拙ブログで紹介したことがある。この「バラモン左翼」という言葉はかなり流行したが、右翼のリベラル批判の文脈でしか理解しない人も多く、造語主ピケティの真意と乖離している感もあった。

 原著でも1000ページ、邦訳では1100ページを超える本書は、このバラモン左翼がいかなる背景の下に生み出されてきたのかを人類史的視野で描き出した大著だ。第1章と第2章は中世ヨーロッパの三層社会―聖職者、貴族、平民―を論じ、第3~5章はそれが近代の所有権社会に転換していった姿を描く。第6~9章は欧州以外の奴隷社会、植民地社会を描くが、とくに第8章ではインドのカースト社会を論じる。ここまでで400ページ。いつになったら今日の格差社会の話になるのだとじりじりする人もいるかも知れないが、いやいやこれらが全部伏線になっているのだ。

 20世紀初頭に財産主義に基づく格差社会の極致に達した所有権社会は「大転換」(ポランニー)によって社会民主主義社会に転換する。(ドイツや北欧の)社民党、(フランス等の)社会党、(ギリスの)労働党、(アメリカの)民主党が主導したこの転換は、保守政党によっても受け継がれ、社会は著しく平等化し、1980年代までの高度成長を生み出した。しかし、やがて新たな財産主義のイデオロギーが世を覆うようになっていく。本書では、1950~80年代と90~2010年代の間にいかに世界中の国々で格差が拡大していったかという統計データがこれでもかこれでもかと載っている。

 このネオリベ制覇の物語は誰もが知っているが、なぜそんなことが起こったのかについて、本書が提示するのが左翼のバラモン化なのだ。半世紀前には、上記左派政党の支持者は明確に低学歴、低所得層であり、保守政党の支持者は高学歴、高所得層であった。低学歴層に支持された左派政権は教育に力を入れ、高学歴化が進んだ。その結果、学歴と政党支持の関係に大逆転が起こった。左派は高学歴者の党となり、右派が低学歴者の党になったのだ。インテリ政党と化した左翼は、もはや「うるせぇ、理屈はいいから俺たちに金寄こせ」というかつての素朴な叫びからは程遠く、経済学者や社会学者の小難しい屁理屈を振り回す頭でっかちの連中でしかない。その姿を、かつての三層社会の聖職者(インドではバラモン)に重ね焼きして「バラモン左翼」と呼ぶピケティの哀しき皮肉をじっくり味わってもらいたい。

 バラモン左翼に愛想を尽かして社会民主主義政党から離れた低所得層に、「君たちの窮状の原因は移民どもだ」と甘い声をかけるのがネイティビスト(原住民優先、移民排斥の思想で、「自国主義」という訳語は違和感がある)だ。とくに、「外国人どもが福祉を貪っているから君たちの生活が苦しいんだ」と煽り立てるソーシャル・ネイティビストが世界中で蔓延っている。ピケティは最後の章で21世紀の参加型社会主義を提起するが、そしてそれは評者の理想と極めて近いものではあるのだが、現実との落差は溜息が出るほどだ。

(トマ・ピケティ著、みすず書房刊、税込6930円)

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JIL-PT 労働政策研究所長 濱口 桂一郎 氏

選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎

 濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。

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令和5年9月4日第3415号7面 掲載

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