【本棚を探索】第31回『紙の梟 ハーシュソサエティ』貫井 徳郎 著/大矢 博子

2022.08.25 【書評】
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“無責任な正義”浮彫りに

 数年前から、現実とは異なる特殊な舞台設定のミステリーが人気を博している。ゾンビや透明人間が存在する世界だったり、タイムリープが繰り返される中での事件だったり、死者が生き返ったり転生したりする設定だったり。

 これらのミステリーがもたらすのは、特定のルールの下での思考実験だ。こんな世界だったら、こんな社会だったらどんな犯罪が起きるだろう?どうやって事件を解決させるだろう?それにより知的推理ゲームとしての面白さが増すのみならず、社会の成り立ちによって人の行動や価値観が変わるというサンプルを見せてくれるのである。

 貫井徳郎『紙の梟(ふくろう) ハーシュソサエティ』もそんな架空設定のミステリーだ。しかし前述した例とは趣が異なる。現実と刑法が少し違うだけなのだ。本作の設定は「人を1人殺したら死刑になる」世界なのである。

 ゾンビや転生に比べて地味だと思うだろうか?とんでもない!この、些細にも見える違いがどんな物語を生み出すか、読んだら驚くに違いない。

 本書は4本の短編と1本の中編で構成されている。短編はいずれもパズル性の高い本格ミステリーだ。第1話の「見ざる、書かざる、言わざる」はデザイナーが目と舌と指を奪われるという残虐な障害事件。第2話「籠の中の鳥たち」は土砂崩れで孤立した別荘地で起きる連続殺人。どちらもツイストの効いた、意外性たっぷりの展開が味わえる逸品である。

 そして、このあたりで著者の企みが見えてくるはずだ。殺さなかった第1話と連続殺人の第2話は正反対のように見えるが、実はどちらもこの世界でしか成立しない動機に基づく。

 いじめによる少年の自殺事件が思わぬ余波を呼ぶ第3話「レミングの群れ」では、まったく予想外のところから最後の矢が飛んできて驚かされる。殺された姉の仇を討つため死刑覚悟で犯罪計画を練る第4話「猫は忘れない」はこの特殊設定に別の方角から光を当てた一編。

 どれもエンタメ度の高い謎解きミステリーだが、それらを通じて読者が法とは何か、罰とは何か、正義とは何かを考えるような素地を著者は作っていく。そして中編「紙の梟」である結論へと導くのである。

 モチーフになっているのは死刑制度だが、その前段階にある処罰感情の描写が圧巻。たとえば「レミングの群れ」では少年を自殺に追いやった加害者たちが激しいバッシングにさらされる。殺人も同然だから、彼らも彼らを庇った親や教師も死ぬべきだという声が巻き起こるのだ。

 そこに浮かび上がるのは無責任な「正義」だ。自分は正しいと信じて疑わない人々が、その正義の心地良さに酔っている姿。そしてこのテーマは「紙の梟」でより明確になっていく。

 現実とは異なる、架空の設定でのミステリーだ。それなのにいつしか物語は現実をなぞり始める。暴走する正義と強烈な処罰感情が重なった時に起きる悲劇は、もはや架空ではない。現実そのものだ。

 副題の「ハーシュソサエティ」は「厳しい社会」という意味。厳しくあらねばならないのは何に対してなのか。自分を振り返らずにはいられない連作である。

(貫井徳郎、文藝春秋刊、1980円税込)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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令和4年8月29日第3366号7面 掲載

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