【書方箋 この本、効キマス】第108回 『ブレイクショットの軌跡』 逢坂 冬馬 著/大矢 博子

2025.04.17 【書評】
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車を通じて描く現代の闇

 以前この欄でも紹介したデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』で第二次世界大戦での独ソ戦を、続く『歌われなかった海賊へ』でナチス政権下のドイツを描いた逢坂冬馬。今ではない時代・ここではない場所をあえて描くことで、現代日本に暮らす読者に新たな視座を与えてくれた。

 ところが3作目で大きく路線を変えてきたから驚いた。「今」「ここ」を舞台にしたのである。新境地であることは間違いない。だがそれだけではない。通奏低音として前2作と共通するテーマが込められているのだ。

 プロローグは28歳の自動車期間工の物語だ。2年11カ月の契約期間が終わる最終日、彼は同僚のミスを目撃してしまう。見過ごせば自分も同僚もこのまま仕事から放免されるのだが……。

 続いて描かれるのは中央アフリカで武装勢力の兵士となった少年。彼は重機関銃が据え付けられた改造車で寝泊まりしているが、ある日、外国からのゲストの護衛任務の最中に事件が起きる。

 遠く離れた、一見何の関係もなさそうなふたつの断章の後で本編が始まる。と言っても、ここからも連作である。1章は新興ファンドの副社長が直面した内部分裂、2章は会社ぐるみの不正を知って悩む板金工、3章はプロのサッカー選手をめざす少年とその親友の物語、4章は疲弊する不動産会社の営業マン、5章は投資系YouTuberとセミナービジネス。これだけの幅広い職場をそれぞれ詳細かつリアルに描写する取材力と筆力にも驚かされる。

 これらをつなぐのが、プロローグの自動車期間工が製造ラインにいたSUV「ブレイクショット」だ。富裕層は適度に安価な新車として買い、庶民は憧れの車として中古車でローンを組む。社用車として使われることも、海外で使われることもある。だがそれを造った期間工は自分が乗るなど考えもしない。自動車を軸に置くことで、さまざまな階層のさまざまな現実が描けるのだ。実に上手い。

 ささやかな家族の確執から大掛かりな企業クーデター、社会格差、SNSの闇、組織犯罪、競技スポーツとセクシャリティ、人種差別、詐欺、炎上、そして戦争……現代のあらゆる問題が1台の車の変転を通してダイナミックに結び付いていく。

 車だけではなく登場人物もつながっていることに留意いただきたい。それはつまり、たとえ国や階層が違っていたとしても、私たちの生活は必ずどこかで「知らない誰か」とつながっているのだという著者のメッセージだ。海外で起きている戦争も、メディアで煽情的に扱われる有名人のスキャンダルも、ネットの炎上案件も、決して無関係な別世界の話ではないのだと、あらためて感じ入った。前2作と作風が違うように見えて、著者は変わらず、他者の視座を持つことの大切さを描き続けているのだ。

 本書は現代の闇と絶望がこれでもかと綴られるが、それでもその中で正しく生きようと懸命に足掻く人々の姿と、最後に用意された希望に救われる。何より、伏線が次々とハマってひとつの大きな物語が生まれる構成は圧巻。今年必読の1冊である。

(逢坂 冬馬 著、早川書房 刊、税込2310円)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

 濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。

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令和7年4月28日第3494号7面 掲載
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