【本棚を探索】第46回『樋口一葉赤貧日記』伊藤 氏貴 著/三宅 香帆

2022.12.15 【書評】
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貧困が人々の心を打つ

 5000円札の顔になった女性作家こと、樋口一葉。彼女の素顔を覗いてみると、まさかこの人がお札の顔になるなんて想像もできないくらい、貧しい生活を送っていた。本書は樋口一葉の「貧しさ」にスポットライトを当てることで、彼女の人生がいかに作品へ反映されたのか探ってゆく一冊となっている。

 本書は樋口一葉の年表と家計簿を、年代順にめくっていくことで構成されている。そして、明治時代における一両の価値など、当時の金銭感覚も併記されており、樋口一葉がどれほど貧乏だったのか、今の感覚でも理解できるようになっている。そのうえでひとりの女性作家の人生を見てみると、彼女の作家性とは「貧しさ」の視点にあったのではないか、という結論が浮かび上がってくる。

 今でこそ明治時代の女性作家といえばまず彼女の名前が挙がる。が、それは決して当時、自明のものではなかった。三宅花圃や鳥居広子といった作家たちの方が一葉よりも華やかにもてはやされていた時代もあったらしい。

 一葉は家族の生計も担わなくてはならないなかで、どうにかして文学で身を立てていく方法を探る。しかし売れるために書いていたのでは、自分の文学観を反映した作品を世に出すことはできない。一葉は覚悟を決め、自分にしか書けない文学を世に出し、それによって一時的な人気を得られなくても良いと決意する。

 本書の作者は、樋口一葉の作品について以下のように述べる。

 「晩年の一葉は自分の人気を、女の物書きだから珍しがられているだけだろうと冷めた目で眺めていた。たしかにそういう面がなかったわけではない。雑誌では『閨秀作家』すなわち女性作家だけの特集が組まれ、そこには肖像写真が飾られた。読者の興味が女性作家の容姿と結びついていなかったわけではない。

 しかし見てきたように、一葉はそうした女性作家たちの中でも一人異彩を放っていた。それが貧しい側からの視点によるものだったことは、もはや繰り返すまでもないだろう」。

 たしかに明治時代の文学といえば、お金の心配をほとんどすることのないインテリエリート層の男性が書いたものが多かった。そのなかにあって、一葉の文学は異端といっても過言ではない。

 『たけくらべ』というと、少女の瑞々しい感性が美しい文体で描かれているところを評価されやすいが、実のところ貧しさから逃れられなかった少女の物語なのである。人々の心を本当に打っているのは、その貧困に対する切実さなのではないか。

 文学で身を立てたい、家族を養いたい――そう決意していた一葉の享年は24歳と若く、作家活動はわずか1年半と短い。しかし本書を読むと、決してあっけない人生ではなかったと確信する。10歳代からずっと小説家としてデビューできるか試行錯誤し、ときには恋愛も失恋もして、そのうえで掴んだ作品を書き上げてから亡くなったのだ。

 そう考えると一葉が、夭逝の天才女性作家としてではなく、ただ文学を武器に貧困と戦い続けた女性作家として見えてくる。樋口一葉の印象が確実に変わる一冊なのだ。

(伊藤氏貴著、中央公論新社刊、税込2420円)

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書評家 三宅 香帆 氏

選者:書評家 三宅 香帆

 書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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令和4年12月19日第3381号7面 掲載

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