【書方箋 この本、効キマス】第113回 『木戸芸者らん探偵帳』 仲野ワタリ 著/神楽坂 淳
声色を使い分けて捕物
本書は時代小説には珍しい「木戸芸者もの」である。木戸芸者は、一般にイメージされる芸者ではない。現代で言えば「声優」である。芝居小屋の木戸で、役者の声真似をしながら芝居の名シーンを再現して、呼込みをする仕事だ。さまざまな声色を使い分けるのが特徴の仕事である。
主人公のらんは、16歳でこの仕事に就く。花嫁修業か木戸芸者か、という選択で迷わず仕事を取るのである。
結婚が当たり前の江戸の社会において、あえて仕事を選ぶというのはなかなかおてんばな主人公だ。実際、周りからも「花嫁修業をして結婚しろ」と勧められる。
しかし彼女は、周りに流されず仕事を選ぶ。江戸の社会では結婚を選択した方がずっと楽である。子供を産んで育てるのが女性の役割という風潮は強かった。何よりも女性の仕事がほとんどなかった。
彼女とともに暮らすことになるはなという少女は、矢場で働いている。矢場というのは一言で言うと男に尻を矢で射られる仕事だ。矢じりが付いていないので怪我はしないが風俗産業のひとつである。だから木戸芸者のように技術が必要な仕事ではないが、薄給である。
そんならんの前に、一人の岡っ引きが現れる。奈落の源助親分と呼ばれる岡っ引きだ。この「ならく」というのには意味がある。岡っ引きは自分が縄張りにしている町の名前を通称としてつける。たとえば、「黒門町の親分」という形だ。奈落というのは、両国橋の下にある空間のことだ。光も届かない場所でも働いている人がいる。つまり、見捨てられた空間のひとの味方ですよ、という意味だ。
らんのいる両国を担当する同心はやる気がなく、岡っ引きが代わりに頑張っている。らんは手伝いとして、事件捜査に参加することになる。
民間の少女が捜査の手伝いをすることで、庶民の生活と捜査の両方を表現できるのが良い。主人公が17歳ということもあり、この小説には子供も出てくる。時代小説は大人の視点で描かれ子供は出ないことも多いのだが、そこはしっかりと描いている。
江戸は子供が多い。人口の3割は10歳以下だ。なので子供が出てくるのは必然ともいえる。
目を引くのは、この小説に流れている「やさしさ」である。たとえ犯人に対してでも視線はやさしい。殺伐とした殺人事件を扱っていても、やさしさを忘れないのは良いところであろう。
主人公は、声がよく通るし声色も使い分ける。ここが捕物のポイントになるのが楽しいところだ。
江戸の雑踏のなかでも声が通るのは大きな武器だが、声を使った捕物はなかなかない。そもそも「御用だ」以外の掛け声などは、まずないからだ。
市井の生活と捕物、そして人情がうまく絡み合っているのが気持ち良い。最後も含めて嫌な気持ちにさせないのは作者の資質といえるだろう。
実際の岡っ引きはもう少し品がない。しかしそう書いてしまうと作品が駄目になる。上品すぎても駄目になる。時代小説に必要なのは「中品」なのだ。この作者はうまく「中品」を守っているのが良い。
(仲野ワタリ 著、光文社文庫 刊、税込814円)
選者:時代小説家 神楽坂 淳(かぐらざか あつし)
『大正野球娘。』でデビュー。主な著作に『うちの旦那が甘ちゃんで』、『金四郎の妻ですが』など。
濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。