『元漫才師の芸能界交友録』の連載記事

2019.10.17 【労働新聞】
【元漫才師の芸能界交友録】第14回 長州力 懐かしの大阪城ホール/角田 龍平 NEW

 男は大きな体を折り曲げて、スタジオのセットの裏の僅かなスペースに腰かけていた。男から少し離れたところに出演者の数だけパイプ椅子が並んでいるというのに、座ろうとしない。天下の長州力なら椅子にどっかと腰かけても良いはずだ。しかし、そうしない不作為がいかにも長州らしかった。  バラエティ番組に出ることも珍しくなくなった長州だが、バックステージ……[続きを読む]

2019.10.10 【労働新聞】
【元漫才師の芸能界交友録】第13回 水道橋博士③ 思い出に節度なし/角田 龍平

 「もし師を失った時の指針は?」。大学生にそう問われた博士さんは「ぼくの師匠はビートたけしと高田文夫のふたりだけ。でも他にも先生はたくさんいる」と答えて、いとうせいこうさんや町山智浩さんの名前を挙げた。  その日、私は博士さんと共に京都造形芸術大学の春秋座の舞台に上がっていた。特別講師である博士さんの講義を聴きに行ったはずが、「ぼくがコン……[続きを読む]

2019.10.03 【労働新聞】
【元漫才師の芸能界交友録】第12回 水道橋博士② 番組降板の真意を弁護/角田 龍平

 20代は自分がどこにも帰属しない不安感といつも隣合わせだった。大学を卒業してから、司法試験に合格するまで8年の浪人生活を余儀なくされた。司法修習を修了し、法律事務所に就職する頃には疾うに三十路を超えていた。  就職先のボス弁は寛容だった。ボス弁とは経営者弁護士の俗称だ。一方、勤務弁護士はイソ弁と呼ばれる。居候弁護士の略称らしい。弁護士に……[続きを読む]

2019.09.19 【労働新聞】
【元漫才師の芸能界交友録】第11回 水道橋博士① 漫才師憧れる契機に/角田 龍平

 「水道橋を大きくしたみてぇだな」。30歳を超えているというのに「父ちゃん坊や」の私をじっとみつめて、そういったのはビートたけしだった。今から10年ほど前、たけしさんが司会を務める「平成教育委員会」に出演した時の一コマである。  妙に嬉しかったのを覚えている。「水道橋」は私が初めてサインを貰った芸能人だった。大阪のABCラジオで放送されて……[続きを読む]

2019.09.12 【労働新聞】
【元漫才師の芸能界交友録】第10回 北野誠・竹内義和② 10年越しの最終回を実現/角田 龍平

 月曜の朝はいつも寝不足だった。少年は日曜の夜になると、AMラジオの周波数を1008khzに合わせた。ラジオから流れるイギー・ポップの「リアル・ワイルド・チャイルド」に乗せて、軽快に喋り始める北野誠と竹内義和。芸人と作家の最強タッグが織り成す言葉のプロレスに耽溺しているうちに、夜は更けていく。  大阪のABCラジオで放送されていた「誠のサ……[続きを読む]

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