【道しるべ】カケガエノナイ命 失うことの重たさを考えよう

2012.06.15 【ひのみやぐら】
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 「大事な人を一度に失ってしまった」――。新潟県南魚沼市で起きたトンネル爆発事故のあと、被災者の後輩社員が遺体と対面したときに述べた哀傷にみちた言葉である。こうした情景は、災害発生のたびごとに伝わってきて、絶えることがない。

 昨年、労働災害によって亡くなった方は2338人(このうち東日本大震災関係1314人)。その周辺には数値に表われない幾数倍もの悲嘆と喪失感がある。あるいは悔恨の念にさいなまれながらの苦悶がある。

 悲哀と辛苦だけがあって止むことがない――不慮の事故災害によってカケガエノナイ人の命が突然奪われるというのは、そういうことだ。

 重度の障害を負う被災の場合も事情は同じ。生活破綻や家庭崩壊にもつながる苛酷な状況が、被災者と家族に襲いかかるケースが重い現実としてある。例えば墜落災害などでの頸椎・脊髄損傷により下半身完全麻痺となり、寝たきり、車椅子での生活を余儀なくされ、それが終生つづく人は多い。また、日常の全般にわたって介護を必要とする状態は、本人に身体的不自由を強いるのみでなく精神面にもダメージを与え、自分の殻に閉じこもるとか暴力的な言動に走るとかさせる。

 介護に当たる家族の負担もひとかたでない。経済的な事情から働きに出た妻が、心身の疲労に耐えかね(借金苦も重なって)自殺するといった悲惨な実例もある。

 一方、死傷者を出してしまった企業側もまた厳しい状況に置かれる。重大な事故に対する刑事上・行政上・民事上の責任追及と処分、社会的信用の失墜等々は経営の死命に関わる事態となって跳ね返ってくる。

 労働の場において安全確保の任にある担当者や実作業に従事する人たちは、一人ひとりの命がカケガエノナイものであることを十二分に承知している。が、それが意識から離れるときがあって、虚を衝かれたように事故が発生する。その怖さを、災害がもたらす悲惨な実態と併せ広く知らしめたい。

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平成24年6月15日第2164号 掲載

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